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確かに日本がんばったほうがいいのかもしんないし、節電すげえし、なんか日本すごいのかもしんないけど。トータス松本がメッセージ出してもいいのかもしんないんだけど。なんだろう、なんていうのか「だれが」「だれに向けて」「なんのために」言ってのかまったくわからなかった。あれ、サッカーの日本代表応援してても同じじゃねえかな、って。

 で、さっき不意に気づいた。まず、被災地の人たちはがんばれない。がんばれるわけない。だって、家とかなくなって、体育館とかで暮らしてて、がんばれるはずないじゃん。じゃあ「がんばれ」のメッセージはそれ以外の人たちに向けられている、と考えられるんだけど、じゃあ実際はなに要求されてんだろ。節電? やー充分に機能してるでしょー。寄付金? まあそりゃそうだよね。人材……は、一般の人が考えてもしかたないことだよね。経験のない人間が行ったって大したことできないって話じゃない。同情心だったらだれもが持ってるでしょ。今回の震災では、関東地方以東に住んでる人なら、だれだって「明日はわが身」っていうようなこと考えただろうし、決して安っぽい同情心だけで同情してるわけじゃないと思う。身近な人を失ったら。津波に呑まれた人たちの絶望を思えば。そんなのみんないくらでも考えた思う。被災地に知己のあった人は決して少ない数じゃないだろうし。

 じゃあ俺らなにをがんばればいいわけ?

 なんか我慢すること? 寄付? 節電?

 実は、原理的には、がんばれることなんて、あんまりない。生活やめるわけいかないし、当事者にはなれないんだから、不必要なくらいの同情心とかは過ぎた憐憫になる可能性だってあるんだし、つまり、可能な限りの善意を換金して、あとはふつうに生活する以外にどういうこともできない。その換金ったってあくまで善意の範囲で「しか」あれないわけだから。

 じゃあ、あの大量のがんばれ日本とか強いぞ日本とか団結は日本の力って、いったいなんなんだろう。ふつうの人たちのがんばりの許容量を超えたがんばれメッセージだけが大量に出回ってる。善意搾り出さなきゃいけないってことか。そうやって搾り出された善意どこ行くん。千羽鶴作ればいいん?

 今回、ネットあたりではよく「不謹慎」って言葉を見かけたけど、実はこの「不謹慎」って、人が本来「自然に」持ちうる「対岸の火事」に対する善意の量を超えるものを求められた結果、善意が暴走したものなんじゃないかと思ってる。やれることあんまりないのにやらなくちゃ!みたいな気分が空回りしてるような状態。

なんかいろいろおかしいなーと思った話 - G.A.W.

 

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