「葬式は要らない!」論の中身

投稿者: | 2011-08-07

いつも拝読させてもらっているブログで、葬儀不要論の話題が。

オフィスシオン 社長日記 (寺尾俊一のつぶやき) : 葬儀不要論

消費者の方を向いて仕事をされている葬祭業者さんは、大変な危機感をお持ちだということがひしひしと伝わってきます。ちょうど同時期に、「テレビ(とりわけNHK)は変化を煽るな!」というお坊さんの記事を読んでいたので、印象深かったですね。

確かに、今でも仏式で行われる葬儀が大半です。けれど、人々がそれに満足しているか、また今後もそれを続けるかというと、大いに疑問なのではないでしょうか。でなければ、それこそ煽り気味のタイトルの「葬式は、要らない」という本が何十万部も売れたりしないでしょう。

ただ葬儀不要論とひとまとめに言っても、人により、世代により、地域により、そのニュアンスはまちまちかと思います。自分の場合か、家族の場合か、でも。「業界」には素人ながら、おおよそ次の4つに分けられるのではないでしょうか。

1)できるだけ少ない費用と手間で済ませたい人(できればやりたくない)
2)面倒くさいしきたりやマナーに辟易している人
3)葬儀でぼられた経験があり、不信感を持っている人
4)お経や戒名など仏教的要素(もちろんお坊さんそのものも)が要らない、という人

多くの人は「葬式に坊主は要らない」とか「(形式張ってて金ばかり掛かる)従来型の葬儀は要らない」というつもりなんだと思います。というか、そう信じています。でもそれを甘く見てきちんと対応しないでいると、文字通りの「葬儀は要らない!」という流れになってしまうのではないでしょうか。

私としては、今あるような形の葬儀は滅んでくれて構わないとすら思っています。でもそれと一緒に「お別れ」という営みそのものが軽視されるようになってしまうのでは、残念どころの話ではありません。そのことを、次回書きます。

「葬式は要らない!」論の中身」への1件のフィードバック

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