「議論が必要」と言うが・・・

投稿者: | 2011-09-28

新聞などの報道で「国民的な議論が必要だ」といった決まり文句をよく見かけます。

こう言われていても、議論が進んだためしはあまりないんですよね(笑)。だから、いつまで経っても「議論が必要」という言葉が繰り返される・・・。

私の関心のあるところで言うと、生命倫理に関わる多くのテーマが、ことごとくそんな風です。具体的には、尊厳死、臓器移植、代理出産、生殖医療、遺伝子診断・遺伝子治療などなど。専門家の間ではいろんな論点が出ていますが、一般の国民の間で議論が進んだ気配はありません。それどころか、そんなことが問題になっていることを知らない人の方が多いんじゃないでしょうか。

複雑化した現代社会。人々の価値観も多様です。「国民的な議論」なるものが成立するのは、絶望的と思えてなりません。

教育やメディアを改善することによって、多少不完全であっても「国民的な議論」が行われやすくするように努めるのも良いでしょう。たとえば、ディベート教育、あるいは国語の中で議論・討論能力の養成を図るとか。メディアについて言えば、建設的な討論番組や紙面を増やすとか、ネット上に秩序ある討論サイトのようなものを開設するとか。

でも同時に我々に必要なのは、国民的議論がなくてもそこそこやって行けるようなルールであり、最低限のコンセンサスで回っていく社会ではないでしょうか。それがどんなものなのか、断定的なことを言うだけの考えは、今の私にはありませんが。

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