個人情報保護が行きすぎると、社会を弱体化させる

投稿者: | 2012-04-10

そんなことを感じさせるニュースや記事を、よく目にします。もともと私がそういう問題意識を持っているせいもあるのでしょうけど。

たとえば、次の2つ。

東京新聞:滞納情報の共有困難 3人孤立死 個人情報保護法が壁:埼玉(TOKYO Web)
みなし仮設に届かぬ支援、個人情報保護が壁に : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

奇しくも、「個人情報(法)が壁」という言葉が両方の見出しに使われています。行政の効果的対応を個人情報保護が妨げている、というわけです。

個人情報保護については、4年前にこんな記事を書いています。

個人情報過保護に物申す! | 志の輪、広げよう。(2008-05-10)

このときは「個人情報を活かす」という視点で書いたのですが、最近はまずそれ以前に、今の個人情報保護は行き過ぎなところがあり、それにより日本社会が弱体化しつつある、という思いが強くなっています。個人情報を出さない、他人の個人情報を尊重する、というのがマナーとして定着したばかりに、人や組織が互いに関わること、巻き込まれることを極度に恐れるようになってきているのではないか、と思うのです。

この風潮を是正しないと、何かの歌ではないですが10年後20年後の日本社会はまさに砂漠のような場となってしまうのではないでしょうか。いや、既にかなりそうなりつつあるとさえ思えます。同様の問題意識をお持ちの方は、多くないかもしれません。そのことも引っくるめて、私は由々しき問題と認識しています。

もちろん、個人情報保護が一切間違っていると言いたいわけではありません。現状は行き過ぎで他の基準に比べて著しく偏重されている嫌いがあるので、少しそれを是正しましょうよ、ということです。個人情報保護と社会の維持・強化にどう折り合いを付けていくか、が我らに問われているのです。

ちなみに同様の行き過ぎを、よく言われる「安全・安心」にも感じています。そのことはまた別の記事で。

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