大学院集中講義:文章構造分析とアウトプットの意味

本日の大学院講義は、「書き手としての自覚をもたらす」ための集中講義。


そもそも大学院生というのは、インプットにおける優等生なのである。
それをアウトプットの視点に切り替えさせる。そのイニシエーション的講義をはじめて行う。
自分としては、案外手ごたえのある授業。とはいえ、少人数の院生だからできる講義なのかもしれない。


授業はあらかじめ2つの宿題を提示した。
1) これは素晴らしい、感動した書籍の目次構成を分析し、何が素晴らしいのかを説明せよ。
2) これは素晴らしい、美しいという著者や学者の文章のトーン&マナーを分析し、その理由を説明せよ。


学生たちは、それぞれレジュメで話す者もいれば、ブログにアップしてスクリーンで説明する者もいる。
彼らがピックアップしてきた書籍で、その人の人柄がわかる。面白い。とにかく、書籍は人柄を表す。


それはさておき、今回の授業での講師としても目的は1つ、「修士論文を作成する際の文章構成の型のバリエーション」をあらかじめ学習しておくことである。読むという行為と、書くという行為は全く違う。
書く行為で重要なのは、3つある。テーマ×目次構成×文章トーン&マナーでつくられる。
テーマというのは、教えられない。これは各自で探してもらうしかない。しかし、テーマというのは、生きるということと直結した何か出なければ続かないという話をする。


僕の場合は、忘れもできない阪神大震災の経験が根っこにある。
それは学生たちには詳細に話をしたので、ここでは繰り返さない。ただし、そのあと、タイのスラムで病気になりながらもフィールドワークをし、さらにフィリピンの田舎を歩いた。ODAに虐げられている現地の人々と話をし、酒を飲み、一緒に歌って踊った。そういう経験が根っこにある。


学者、あるいは研究者は、事実に対してフェアでなければならない。それは李さんが宿題で提出してきた『風と風車の話-古くて新しいクリーンエネルギー-』で著者の牛山泉さんの姿勢を見習ってほしい。牛山さんは決して自分の研究テーマを賞賛していない。風力発電はクリーンだけれども、欠点もちゃんと見つめている。自分のテーマをまるでオブジェのように冷静に見つめられる。それが研究者のフェアな視点であり、立場だということを学んで欲しい。


今日の集中講義では、10冊以上の著書を分析したのだけれど、重要なのは「目次構成=論理展開」の型のバリエーションというものを今から学んでおくということなのだ。例えば、僕の論文のように政策提言論文のパターン、修士論文としての基本パターン、エッセイレベルの構成パターンといろいろある。それを目的に合わせて判断し、テーマ素材をデータベースから選び、一気にアウトプットをつくるという「仕組み」をつくることが大事なのだということ。


それをわかって、実行してくれればいい。


がんばってね。検討を祈る。わからなければ、いつでも質問に来い!待ってるよん。


授業が終わって、四条烏丸にて学生NGOの仲間と久しぶりの集い。
未来の話をしようと考えていったが、懐かしすぎて昔話ばかりで終了。
いやはや、15年の時間というものは、たいした時間の長さ。埋めるのも大変です。


いま、新幹線。名古屋を越えたけれど、彼らはまだ酒場で盛り上がっていることでしょう。


また、逢いましょう。そして、未来の話をしましょう。


ではでは。


原尻淳一 拝