医療過誤と的外れな例え話 〜K2シロップを与えず乳幼児を死亡させた助産師の件〜

先頃、このような報道がおこなわれ、反響を呼びました。

「ビタミンK与えず乳児死亡」母親が助産師提訴

生後2か月の女児が死亡したのは、出生後の投与が常識になっているビタミンKを与えなかったためビタミンK欠乏性出血症になったことが原因として、母親(33)が山口市助産師(43)を相手取り、損害賠償請求訴訟を山口地裁に起こしていることがわかった。
 助産師は、ビタミンKの代わりに「自然治癒力を促す」という錠剤を与えていた。錠剤は、助産師が所属する自然療法普及の団体が推奨するものだった。
(中略)
 新生児や乳児は血液凝固を補助するビタミンKを十分生成できないことがあるため、厚生労働省は出生直後と生後1週間、同1か月の計3回、ビタミンKを経口投与するよう指針で促している。特に母乳で育てる場合は発症の危険が高いため投与は必須としている。
 しかし、母親によると、助産師は最初の2回、ビタミンKを投与せずに錠剤を与え、母親にこれを伝えていなかった。3回目の時に「ビタミンKの代わりに(錠剤を)飲ませる」と説明したという。
 助産師が所属する団体は「自らの力で治癒に導く自然療法」をうたい、錠剤について「植物や鉱物などを希釈した液体を小さな砂糖の玉にしみこませたもの。適合すれば自然治癒力が揺り動かされ、体が良い方向へと向かう」と説明している。
YOMIURI ONLINE(読売新聞)

大変痛ましい事件です。親御さんと赤ちゃんには、かける言葉もないですね。
報道されたのは助産師が提訴されたからですが、実はこの件、ホメオパシー代替医療に関心を持つ向きには割と知られたケースでした。切っ掛けはコチラのエントリーです。助産院は安全? ホメオパシー、レメディの問題>K2シロップの件

K2シロップすら“薬は毒だ”ということで飲ませない助産院・助産師が増えているようです。
(中略)
K2 シロップを飲ませなかったことが原因で、お子さんが脳死状態になったというお母さんからご連絡がありました。
ご本人のご希望で、詳細は伏せさせて貰いますが、簡単にお話だけさせていただくという事をご快諾くださりました、有難うございます。

助産師からK2シロップの説明、未投与のリスクなどの説明もなく、
「これ(レメディを見せて)は、K2シロップの代わり。飲ませるね。大丈夫よ〜」
と、出産後すぐのお母さんに考えたり、選択させる機会もないまま、当たり前のようにレメディを助産師に投与されたそうです。
あえてK2シロップを飲ませずに、“K2シロップというレメディ”を飲ませた結果、新生児脳内出血を起こし、ほぼ脳死状態となってしまったそうです。
母子手帳にはK2シロップのレメディを投与した日を、K2シロップ投与日としている為(K2シロップのレメディもシロップ同様に3回投与するらしく、また、投与のタイミングも同じだそうです)、健診等でも医師の方達は問題視されなかったそうです。

私もホメオパシーってなあに?で取り上げました。
「植物や鉱物などを希釈した液体を小さな砂糖の玉にしみこませたもの」これはレメディを強く示唆する説明です。また「適合すれば自然治癒力揺り動かされ、体が良い方向へと向かう」これもホメオパシーサイドの主張に類似しています。(詳しくはホメオパシーとK2シロップ - ublftboの日記参照。)この件は同じ事件と考えて良いでしょう。少なくともホメオパシー代替医療絡みの事件である事は間違いなさそうです。
さて。ビタミンK欠乏性出血症とその予防に投与されるK2シロップに関しては百丁森の一軒家(本館) 驚愕!「K2シロップ代わりのレメディ」に詳しいですが、簡単にまとめると

  • 脳出血等で死亡、あるいは重篤な後遺症をもたらす事がある。
  • 母乳にはビタミンKが不足しがち。
  • K2シロップの投与でほぼ確実に予防が可能。20年前には有用性が確立されている。

要するに、普通に処置されていれば赤ちゃんは助かった可能性が非常に高い、と言う事です。
何故こんな当たり前の処置を、わざわざ母子手帳に虚偽記載してまで回避したのか。問題の背景にはホメオパス及びその団体と一部の悪質な人物が主導する予防接種を含めた薬物忌避、もっと言うなら現代医療・科学に対する不信が根っこにあります。以前にも書きましたが、ホメオパシー最大の問題点は、その主張が科学と(モチロン医学とも)相反するため通常医療忌避に繋がるところにあり、それが最悪の形で表出したのが今回の件です。


私は、今回の件を「医療ネグレクト医療過誤」であると考えています。

追記2010/07/14
NATROMさんの御指摘により、「医療ネグレクト」と考えていた今回の件は、医療過誤」と呼ぶ方がより適切であると判断しました。ぶっちゃけ、ネグレクトをわかっていなかったのは私自身であったというオチが付いてしまい汗顔の至りです。もっとも論旨には影響しないと判断し、そのままにしています。
以下、この両者の違いについて追記します。詳細はコメント欄参照の事。NATROMさん、御指摘ありがとうございます。ブックマーク頂いた皆様や引用されている方には、大変申し訳ありませんでした

医療過誤医療ネグレクト

指摘を受け、改めて調べて見ました。

1 医療事故

 医療に関わる場所で、医療の全過程において発生するすべての人身事故で、以下の場合を含む。なお、医療従事者の過誤、過失の有無を問わない。

ア 死亡、生命の危険、病状の悪化等の身体的被害及び苦痛、不安等の精神的被害が生じた場合。

イ 患者が廊下で転倒し、負傷した事例のように、医療行為とは直接関係しない場合。

ウ 患者についてだけでなく、注射針の誤刺のように、医療従事者に被害が生じた場合。

医療過誤

 医療事故の一類型であって、医療従事者が、医療の遂行において、医療的準則に違反して患者に被害を発生させた行為。
http://www1.mhlw.go.jp/topics/sisin/tp1102-1_12.html#no3

上記の定義からわかるとおり、医療過誤とは医療事故の中でも特に医療従事者が「準則に違反」し被害を起こした、より深刻な(というかより責任が大きい)問題を指すようです。今回の件は、医療従事者である助産師がインフォームドコンセントを取らず、また母子手帳に虚偽記載するなどかなり手続き上問題のある行動をしていたようですし、K2シロップの投与は助産師にも普通に勧められている療法です。当然のことながら、レメディでK2シロップを代用していいなどという指示は、一部のホメオパシー団体を除けばされるはずもなく。つまり、医療過誤のケースと考えて間違いありません。
一方、医療ネグレクトですが。

医療ネグレクトとは、以下の1〜5の全てを満たす状況で、子どもに対する医療行為(治療に必要な検査も含む)を行うことに対して保護者が同意しない状態をいう。
1子どもが医療行為を必要等する状態にある
2その医療行為をしない場合、子どもの生命・身体・精神に重大な被害が生じる可能性が高い(重大な被害とは、死亡、身体的後遺症、自傷、他害を意味する)
3その医療行為の有効性と成功率の高さがその時点の医療水準で認められている
4(該当する場合)子どもの状態に対して、保護者が要望する治療方法・対処方法の有効性が保障されていない
5通常であれば理解できる方法と内容で子どもの状態と医療行為について保護者に説明がされている。
http://www.moj.go.jp/content/000048992.pdf

明らかに行為の主体は保護者、つまり、親御さんです。(親権者を含む)保護者による虐待を指す言葉のようですね。
今回の件では、親御さんが通常医療を忌避したとする信頼できる話は上がっていません。にもかかわらず、親御さんが虐待に関わっているかのような印象を誘発する言葉を使用するのは大変に問題があるでしょう。NATROM先生が指摘するように提訴した母親が虐待をしていると受け取られかねない。再度言いますが、そんな事実は全く確認されていません。
しかしながら、私が今回の件で問題としている「公的な資格を持つ医療従事者が、公的な場で代替医療に基づく医療を勝手に行った」「ホメオパシーによって通常の医療が妨げられ、助かる命が救えなかった」この2点とそれに基づく全体の論旨は用語の選択に左右されないと判断致します。*1

本質を外した例え話2題

circledさんのさくっと世界一周計画: ビタミンK欠乏で新生児が死ぬ確率より。素敵なブログタイトルですね。

ビタミンKを与えなかったことでビタミンK欠乏性出血症で乳児が死んだというニュースが何かと話題になっているので、そもそもビタミンK欠乏性出血症で死ぬ確率はどれくらいだったのかを調べてみた。

国立保健医療科学院にリンクのあるこちらの論文:「乳児ビタミンK欠乏性出血症の疫学 わが国における乳児の脳血管疾患による死亡の地域別年次推移に関する分析(PDF)」によれば、1万人の新生児に対し、脳疾患で死亡する確率は0.58〜0.37で、平均的には0.47人/1万人程度。

Wikipediaによれば日本の交通事故死は2009年度で4914人で、人口1億2000万人とした場合の1万人当たりの死亡者数は0.4人/1万人程度なので、新生児を脳疾患で亡くされる人は交通事故にあったようなもの。滅多に無いけどゼロじゃないよ、と。
(中略)
一方で、ビタミンKを新生児に与えなかったことが原因で新生児が死んだって騒ぐと、今度は新生児を抱えた母親が子供にビタミンKを与えなきゃ!と焦って、ビタミンK補給のためのK2シロップを必要以上に与え壊死性腸炎を招いたりする可能性も上がるんじゃないか?という余計な心配も始まります。

ビタミンK欠乏性出血症で死んだニュースでこれほど騒げるなら、同じ死亡率を発生させている交通事故のニュースを見て、今すぐ車にのるのをやめさせなきゃ!と騒がないと変に思うのだけど、死亡率一緒なのに、そんなことにはなりませんね。

交通事故を例えに、リスクベネフィットを論じたエントリーです。死亡率等に関して外野から疑問も呈されていますが、そこは本題ではないのでスルー(因みに、私は年間400人という数字を採用しています)。また、ビタミンKを過剰に摂取させる過剰反応を心配していますが(確かに壊死性腸炎を誘発する可能性は一応指摘されています。参照:新生児に対するビタミンKの予防投与)、10年以上前に確立された通常医療を行えばそれで問題無く済む話ですし、飲めば効く!ではなく、飲まなければ大変!という問題で、そのような過剰反応を想起するのは少々無理があるのでは、と考えます。まあ、これも本題とは関係ありませんね。

さて本題。どうやら死亡率が似ていると言うだけで交通事故と対比させているようですが、これはハッキリ言ってしまうと的外れです。両者は決定的に、本質的に違います。最大の相違点は、今回の件は事故ではない、という点です。故意に行われた行為と事故を同一に論じるのは無理があります。ましてリスクベネフィットを論じるなら、偶発的要素が少なく原因も対策も単純なK2シロップ未投与と交通事故のような、対策に掛かるコストが段違いな両者を並べて例えても意味はないでしょう。

再度言いますが。今回の件は、代替医療を信奉し通常医療を忌避した助産師が、行うべき治療を怠った結果起こった医療過誤*2、です。事故ではありません。そして今回の件の本質は、本来なら助かったはずの命が(適切な医療を受けないという)選択の結果失われた、と言う点にあります。飲酒運転や危険運転、ひき逃げなどなら兎も角、大きく交通事故という枠組みで比較しても、それは本質が相通じているとは思えません。


ところで。私の批判は↑で尽きていますが、当該エントリーにはかなり激越な批判が見受けられます。まあ確かに、やや牽強付会というか恣意的というか苦しい論理展開で、それが為にする批判のように受け取られているようですが、それでも人格にまで踏み込んだ批判はやり過ぎです。むろん、リスクベネフィットで論じる事それ自体は別に問題無いでしょう、それこそ被害者家族の前で論じるのでない限り。


さてもう一つ。最近何かと話題な地質学者、早川由紀夫先生(TwitterのID:HayakawaYukio)のツイートを。素敵なアイコンですね。

新生児にビタミンKを投与しなかったときの死亡数を、全国で年間200人だと見積もる。これは山岳遭難による死者数とほぼ同じだ。(中略)そして登山することを日本社会は許している。
http://twitter.com/HayakawaYukio/statuses/18342197934

登山で例え話!斜め上にも程がある(登山だけに)! これには流石に面食らいました。
どうやら背景には、センセー独自の子供観、というか公私感覚があるようです。

@ubitw 新生児の命をどう育むかは、母親と父親(もしくは親権者)に全権委任されていると考えられませんか。新生児はひとりではまったく生きられないのだから。考えることもできない。選択はまったなしです。ビタミンKを摂取するのも選択のうちです。
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/18342870275

考えられませんか、と言われたら、考えられません何ですかそのトンデモは、とお答えするしかないですが。一連のツイートを拝見するとこの背景の更に背景には、個人の選択に行政が、と言うか何人も口を挟むべきではない、とする考えがあるようです。


さて。当たり前の事ながらこの例えは今回の件の本質とはかけ離れています。
登山を「日本社会は許している」のは、ひとえに登山が愚行権に基づいて行われるからです。「それが本人の不利益になる事であっても自己責任において行われる一切の行為に、余人は口を挟むべきではない……ただし、他者に危害を加えない限り。」これは自由主義の基本的な考え方で、愚行権とか他者加害の原理とも呼ばれています。
ところで、「自己責任」の部分では他にも必要とされる前提条件があります。

1判断能力のある大人なら、2自分の生命、身体、財産に関して、3他人に危害を及ぼさないかぎり、4たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、5自己決定の権限をもつ
愚行権とセットになるもの - 地下生活者の手遊び

1はリスクやコストを把握し理解できる事を前提としている、ということでしょう。また5については選択を自らの意思で行ったかどうか、そも選択肢があったかどうかが問題となります。考えてみれば当たり前で、例えば銃で脅かされて行った行為に自己責任を求めるのはあまりに酷ですし、詐欺師に騙されたお金は返還を要求できます。
今回の件には愚行権が成立する余地が全くありません。親御さんは勝手に処方された、と訴えていますし、リスクを知らされなかったとも訴えています。また、当の助産からしてリスクを知っていたとは思えず、どうもレメディにK2シロップと同様の効果がある事を確信していたフシがあります(助産師の背景はコチラのエントリーを参照。なぜ助産師がビタミンK投与を怠ったのか - とらねこ日誌)。自己責任の前提条件が成立しないのです。
というか。
ぶっちゃけ、医療ネグレクト医療過誤愚行権を持ち出して擁護するのは端的にナンセンスなんですよ。理由は単純で、要するに子供は親御さんの所有物ではないから、です。
子供は、親が自由に扱える「生命、身体、財産」には含まれません。また、子供は危害を禁止されている他者に相当します
むろん、子供にかわって親権者が決断をする局面は多岐にわたります。親権はとても強い権利で、公権力に易々と介入させて良い権利ではありません。
ありませんが、しかし介入しなければならない局面は確かに存在します。
虐待はその最たる場面で、その場合、社会は速やかに子供を保護する事が望まれています。今の日本の社会に、ですよ。
早い話、子供の権利、特に生命や尊厳に関わる部分は親権者に委任などされては居ません。子供は保護されているのであって、親権者はその保護の方法を委託されているに過ぎない。そもそも、仮に「全権を委任」され愚行権を盾に自分自身と同じ様に子供を扱って良いのならば、親権者によるありとあらゆる虐待が正当化されてしまうでしょう。死に至る決断さえ擁護されてらっしゃるので、センセーの論法だと心中ですら許されなければ筋が通らない。当然、愚行の中には自殺も含まれています。
恐らく。センセーご自身も自分の論がそのような結論に到達するとは自覚なされていないのではないか。いくら何でも、親権者による児童虐待を「日本社会は許している」とは考えていないでしょうし。つまりは、この問題が医療過誤であるという認識がなかったのでしょう。
前提からして間違っている、と言うのが私の結論です。

*1:これは言い訳ではありません。なぜなら、この事は端的に知りもしない単語を振り回していたという事実を示唆するからです。……本来ならエントリーの構成その物が崩壊しなくてはいけないんですよ、用語をキチンと理解していたら。

*2:2010/07/14修正