妄想:会社がコミュニケーション能力を求める理由

私は大学教員以外の職についたことがありませんので、その点を考慮してお読みください。

会社が求めている能力は?

経団連:2008年度・新卒者採用に 関するアンケート調査結果の概要より「企業が採用選考時に重視する要素」

  1. 「コミュニケーション能力」 76.6%(前年度79.5%)
  2. 「協調性」 56.1%(同53.0%)
  3. 「主体性」 55.2%(同51.6%)
  4. 「チャレンジ精神」 51.5%(同49.4%)
  5. 「誠実性」 40.0%(同 42.4%)

「専門性」は14位 10.3%

会社が求めている能力はコミュニケーション能力。これは日本の会社が職務に適した能力で人材の採用を決めているのではなく、人を採用して、会社内で能力にあった職務に合わせるという制度をとっているためであると考えられるかもしれないけれども、一方で、コミュニケーション能力が求められるのにもある程度の理由があると考えられる。

コミュニケーションとは何か?

辞書によると以下のとおり。

社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。
広辞苑第5版より)

The imparting, conveying, or exchange of ideas, knowledge, information, etc. (whether by speech, writing, or signs). Hence (often pl.), the science or process of conveying information, esp. by means of electronic or mechanical techniques.
(Oxford English Dictionary 2nd editionより)

上記の定義を使って、コミュニケーションができるとは整理してみると

  1. 自分の知ったもの、感情、考えを他者に伝えることができること
  2. 他者の知ったもの、感情、考えを受け取ることができること

さまざまな、方法で上記のことがらを伝えることはできるけれども、企業におけるコミュニケーションの基礎となるのは言語を用いたコミュニケーションなのは間違いない。

なぜ求められるのか?

会社の利益の源泉は、究極的には未だ知られていない/普及していない知識や物を広めるという点にある。資本主義社会においては、利益を得られることならば、既に誰かがやっているのは当たり前である。誰かがやっていない場合は、それが未知のものであるか、利益がでないことのどちらかしかない。

また、会社は学校と異なり背景知識が異なる人たち同士の集まりである。

  • 年齢が異なる
  • 経歴(学歴、職歴)が異なる
  • 出身地(出身国)が異なる
  • 業種(職種)が異なる

このため、個人間、部署間、支社間、会社間、会社と消費者間で、相手にとって未知のものについて説明し、理解してもらわないと仕事にならない(その逆も)。

では、「未知のもの」を説明するというのはどういう性質を持つかというと、それは、説明される側はそのものについて何もかも理解できないということである。つまり、本当にあなた以外の誰も知らないものであるとき、 あなた以外の人は以下のことを知らない

  • それは一体何なのか
  • それはどう使う/利用するものなのか
  • それを使う/利用するとどんな良いことがあるのか
  • 利用法から考えて、今、目にしているものは品質が良いものなのかそうでないのか

未知であるということはそれを評価する 基準すら存在しないことを意味している。そして、未知の事柄を説明するという能力を身につけるには、認識の変化と訓練が必要となる。

ルールの変更

大学生までと大学生以降は、これまでとはルールが変わる。大学生までは、自分が行ったことの価値は、 誰かが決めたものなので、他人の評価を待てばよかった。一方、大学生以降は、自分が行ったことの価値は、 自分で評価者に説明しなければならない。 なぜならば、それは評価者にとって未知のものであるかもしれないため。

しかし、多くの普通の大学生は、未知の事柄を説明するという訓練を受けていない。よって、その能力を身につけていない。理由は以下のとおり。

  • 日本は「察する」文化であり、日本語は「察する」文化の言語であるため
  • 小学校〜高校まで年齢的に均質な環境で過ごしてきたため
  • 高校までに言語技術が教えられていないため
  • 大学入試に特化された授業を受けてきたため

日本はハイコンテクスト文化

コンテクストというのは、人はコミュニケートする際、聞き手がそこでのやり取りにつきどの程度知っているかにつき一定の前提を設けるという事実を言う。
(「Hall, 文化を超えて」の一節、日向清人のビジネス英語雑記帳:(下)英語文化はローコンテクストより孫引き)

ハイコンテクスト文化では、そこでのやり取りにつき聞き手が良く分かっている前提でコミュニケーションを行う。ローコンテクスト文化では、そこでのやり取りについて聞き手は分かっていないという前提で、コミュニケーションを行う。日本語でのコミュニケーションは基本的にハイコンテクスト文化に基づいている。ヨーロッパ言語圏(アメリカ、南米含む)は ローコンテクスト文化に基づいている。

たとえば、音楽会に友人と行った時、日本人同士だと

  • Aさん:「今日はよかったね。」
  • Bさん:「本当に、よかったね。」

で会話が成立する。この会話は過不足ないものと感じられることが多い。

一方で、それが日本人とローコンテクスト文化圏の人(アメリカやヨーロッパ)だと

  • 日本人:「今日はよかったね。」
  • 欧米人:「どこが、どのようによかったの?」

と聞き返される。ローコンテクスト文化圏の人にとって、この返しは普通の返しだけれども、日本人にとってはびっくりする返しに感じることが多い。

ハイコンテクスト文化が成り立つ前提は、集団の構成員の背景が同じでないといけない。次に説明する理由により、日本の教育制度で育ってきた人たちは均質性の高い集団に属してきている。よって、そこではハイコンテクスト文化が成り立ちやすい。しかし、上述のとおり会社は学校と異なり背景知識が異なる人たち同士の集まりであり、成り立たない。

追記(2015/12/2):コメント欄でも日本文化ではないのではないかと指摘されていますが、メタ分析にて日本は拝コンテクスト文化であるという証拠はないという結果があるそうです。

縦の人間関係に乏しい

年代が異なると、常識が異なる。義務教育期間には留年の制度がないため、基本的に同じ年齢の子としか触れ合うことはない。さらに、高校までアルバイトが禁止されているため、アルバイトを通じて年代が異なる人とコミュニケーションをとる機会が少ない。

集団の構成員が、似たような生育環境、似たような情報入手経路、共通の体験を持っているとそこで行われるコミュニケーションはハイコンテキスト化しやすい。

大学において、多少は背景が異なる人々が集まるようになるけれども、年齢的なばらつきは少ない。一方で、会社では幅広い年代がコミュニケーションの対象となる。

多くの、会社では定年が60歳となる。そのため、22歳〜60歳、最近では退職後就職もあるので、 70歳ぐらいまでの多様な年代が会社にいる。さらに、販売者として考えると、0歳から90歳までの多様な年代がお客様候補となる。特に、人数的に団塊の世代(60歳〜70歳)、団塊ジュニア(30歳〜40歳)が多い。

結果として、ハイコンテキストなコミュニケーションをとることは許されなくなる。

言語技術が教えられていない

言語技術とは、言語を用いて話す・聞く・読む・書くための技術のことである(参考: 三森ゆりか:外国語で発想するための日本語レッスン)平成21年4月からの学習指導要領の改訂から言語技術の導入が図られる ことが決まっているが、今、就職活動をしている方々にはちゃんと教えられていない可能性がある(参考:国語を学校で教えることに異存はないけど、内容には意見がある)。

一方で、日本では教えられていないが、ヨーロッパやヨーロッパの旧植民地の学校では、言語技術が初等教育(小学校)から教えられている。これは、ローコンテキスト文化なのでうまく説明するということの重要性が認識されているためと思われる。この結果、英語ができても言語技術を学んだ人間と意思の疎通ができないという現象が生じる。

しかし、技術は学び、磨くことができるので、言語技術を学ぶことができればローコンテキストなコミュニケーションを使いこなせるはずである。

正解があることが前提の問題解決

とても、残念なことに日本の小学校〜高校までの教育は大学入試に合格することを目標に構成されている。そのため、大学入試に合格できるように学び方、問題の解決の仕方がチューニングされてしまう。

一方、大学入試は、ふるいわけのための試験であるため、受験生に点数で順位をつけなければならない。このため、効率よく採点し、点数を割り振るためには正解が一意に定まる問題が入試にもっとも適している (採点者によって正解が異なる試験は効率よく採点できない)。

結果として、ほとんどの学生が正解があることが前提の問題解決方法を身につけることになる。

答えが与えられていない問題解決(典型的には研究)では、下の図のように無数にある理想の中で実現したい理想を一つ選び、その理想を実現するために現状とのギャップ(すなわち、問題)を定義する。そして、その問題を解決できる複数の解決法から、現在の状況において最適の解決法を選ぶ。さらに、解決法を実際に実現する方法が複数ある場合は、現在の状況において最適な実現方法を選択し、問題の解決を図る。さらに、問題や解決法、実現法が未知のものである場合には、その成果をどのように評価してよいのかの評価法自体も提示しなければならない。

一方で、勉強の場合では、たいてい問題だけでなく解決法まで指定されており、その解決法を実現できるかどうかしか問われない。そして、実現結果の評価方法自体も誰かが既に定めていることが多い。

正解があることが前提の問題解決に特化している場合は、問題の重要性(なぜ、その問題を解決する必要があるのか)や解決法の適切性、そして、評価の仕方を説明する必要性を理解できていないことが多い(する必要がなかったため)。

どうすればよいか?

われわれには、コミュニケーション能力がつきにくい以下のハンディーがある

  • ハイコンテキスト文化で育った
  • 縦のつながりが薄かった
  • 言語技術を教えられていなかった
  • テスト偏重の教育だった

よって、意識的に学ばなければ、コミュニケーション能力を身につけることはできない。

私の妄想であるけれども、企業が求めているコミュニケーション能力とは、人当たりが良いとか、友達が多くいるとか、そういう能力ではない。企業が求めているのは、他人に未知の事柄を説明するという能力である。

大学におけるレポート、口頭発表、卒業研究などは、他人に未知の事柄を説明する良い機会だと思う。ぜひ、大学にて、他人に未知の事柄を説明する練習をして欲しい。

関連

追記

ブックマークのコメントより

なんていう俺。頭悪いローコンテクストな人間なので、周りによく迷惑をかけます。>音楽界に行ったあと「今日はよかったね。」と言われると「どこがどのように良かったの?」と聞き返す

「ローコンテクストなコミュニケーションをとる=頭が悪い」というわけではありません。背景を共有していないというだけです。あるいは育った文化が違うといっても良いかもしれません。

企業が求めるものが「他人に未知の事柄を説明するという能力」であったとしても、面接官の見ているのは「人当たりが良いとか、友達が多くいる」とか下手すりゃ「飲み会でハメを外すこと」だってのが問題なわけで。

「人付き合いは苦手だけど他人に物事を説明するのは得意」な人がいたとして、今の企業が喜んで採用するとは考えにくい。やはり現実は“人当たりが良いとか、友達が多くいるとか”の方が重視されているんじゃないか。

実際はそのようなところが多くあると思います。ですが、企業の利益の源泉が「未知なものを扱うこと」であるかぎり、そして、企業が国際化を目指す限り、ローコンテキストなコミュニケーションがより求められるようになるのは、ほぼ確実だと思います。

国際化をとなえたり、多様な人材と協力して物事を為す人材を求めている企業が、人付き合い能力を最優先に考えているというのはなかなか面白い矛盾だと思います。

追記2:

私と似たような主張だったのでリンク。

そうは言っても、企業は「コミュニケーション能力」を要求してくるわけで、雨宮氏の本などを読んだ若者は「コミュニケーション能力を試されるシュウカツには反対」などと言っているのですが、ここにも誤解があります。現在の社会が求める「コミュニケーション能力」とは「空気同調能力」でもなければ「理不尽へのストレス耐性」でもありません。それは、複雑な利害関係で成り立っている現代社会において「自らがコンフリクトの結節点に立ち」「コンフリクトの構造を理解し」「コンフリクトの調整に必要な、正確で迅速な情報流通の司令塔になる」という態度と能力のことを指すのです。