百醜千拙草

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科学的でない科学論文レビューのことなど

2011-02-04 | Weblog
市中引き回しにあっている論文、一番の大きな原因は同じマウスを先に出されてしまったことですが、その後、ますます状況は難しくなってきました。そもそもphenotypeが比較的マイルドというだけで解析が困難なのに、そのマウス作ったという部分を先に出されると、出版のハードルは一気に多分5倍に跳ね上がるような感じです。私は、時間がかかってもよい仕事をする方が大切だ、と信じてきましたが、近年の科学出版では「話題性」と「スピード」が以前にも増して重視されてきているような気がします。昔から競争はありますし、同じ結論であれば少しでも早く出したものがクレジットを取るというルールは変っていませんが、論文の数が飛躍的に増加し、レビューアーの負担が増える一方の今のピアレビューシステムでは、出版しようとする方もレビューする方も仕事が雑になってきているのではないでしょうか。これまでのリジェクトではだいたい一人はOKでもう一人がダメという場合が多くて、残念なことにダメという方は、原稿をきっちり読んでくれていないのです。ま、読みやすい原稿を書くのは著者の責任ではありますが、字数制限があり、実験方法が複雑な場合に、レビューアーが雑に読んでもちゃんと理解してもらうように書くのは易しいことではありません。
 レビューアやエディターが忙しすぎるのが原因の一つではないかと思います。時間がないと、パッと見て、最初に取るか取らないかを決めて、それに沿ってレビューしがちになります。一方、そのレビューアーやエディターの心理を読んで著者の方も原稿を書きますから、より話題性が高くてインパクトのありそうな題材をパッパッパと出したい、と思うでしょう。そうなれば、ただでさえ、時間と労力のかかるマウスの実験では、解析が雑になってしまいますし、ストーリーが先行して、それに沿ってデータを出すという本末転倒が起こりやすくなるのだと思います。ストーリーをまず書いてそれにそって証拠を集めようとすると、日本の検察の捏造事件や冤罪のようなことになります。
 私の研究分野で一流紙に論文を連発する評判の悪い人が、まさにこのスタイルで、ボロが出始めました。ちょっと前、C紙とN紙の姉妹紙に出した論文は、その結論を疑って追試した人のデータから、どうも論文の結論の根拠になっている一つのデータは実験手技の未熟さによるアーティファクトの可能性が強いという結論になりそうです。ここで、この人がこの論文に対する批判の扱いを誤ると研究者としては葬り去られるかも知れません。この人の初期の頃の論文は比較的マトモでした。その後、有名雑誌にバンバン出版し出してから、ちょっとおかしくなって来たようです。しかし一旦、有名雑誌に連発しだすと、レビューアーの方も有名雑誌に出している人だから信用できると思ってしまうようです(実際にそう書かれたレビューを見た事があります)。検察が起訴したら99%有罪になる、ならば検察に起訴された以上は有罪だろう、というのと同じトートロジーです。これでは、批判的レビューになりません。しかし、そんなレビューアー心理があるのが現実で、有名研究室からは論文は通りやすく、そうでない研究室やアジアや東欧など国からの論文は同じような内容でも雑誌のランクが2ランク落ちるということになるわけです。科学論文のレビューは科学的ではないということですね。

検察の起訴で思い出しましたが、小沢氏の検審会の起訴議決(たぶん架空の)を受けての起訴、マスコミは相変わらずバカのように理屈の通らないタワケ話をガナリたてていますが、空きカンや岡田氏は多少トーンダウンしてきているようです。連中にもこのでっち上げ事件が無理筋なのが分からないわけがないわけで、無罪になる裁判でしかも検察審査会という怪しい団体の起訴議決を根拠にしつこく言いすぎると、無罪になった時に自分側に攻撃が向かってくると思っているのではないでしょう。マスコミはそもそも無責任で、どんなウソを書き立ても誰も責任を取りませんから、確信犯でどんどんデタラメを並べ立てますが、政治家個人ならマスコミのレベルの無責任では政治生命にかかわります。
 この検察審議会のそもそもの趣旨は、直接的な被害者がいる事件において、検察がクロである証拠を握っているにもかかわらず、圧力などを受けて起訴をしない場合に、被害者が起訴を促すのが目的のものです。小沢氏の場合は全く逆で、検察は二度もとんでもない言いがかりをつけて強制捜査をした挙げ句に、何の証拠も得られずに不起訴となっただけのことで、まずは、救済すべき直接の被害者がいません。加えて、検察が不起訴にしたのは犯罪の証拠がないからであって、小沢氏の関連者が検察に圧力をかけて起訴を諦めさせたわけでもないのです。建前上、検察審議会は直接の被害者でもない人間の告発を受理すらすべきでなかったわけです。また容疑は資金報告書の日付を秘書が正しく書かなかったことに対する共謀罪です。(しかも、会計の慣例からこれは違反でさえないそうです)。報告書の日付を変えることの犯行の動機は何だと思っているのでしょうか。刑法では「犯意」のないものは罰せず、とあります。これが書き間違えの違反なら訂正すればすむだけのことで、そうではなくワザとやったというのなら犯行動機を検察は証明する義務があります。このデタラメ極まりない検察の起訴に何十億円という税金がつぎ込まれ、こともあろうに、不起訴になった件を「検察審査会」という違憲の組織を利用して議決をでっちあげて、起訴したわけです。そして検察官役の弁護士の一人は「有罪にするために努力する」と開いた口が塞がらないようなコメントをしました。この件においては検察の言いがかりで大々的な捜査をやって証拠がないとなった上で不起訴になったのです。検察審議会の議決を受けた起訴は有罪にするのが目的ではなく、検察が起訴しなかったことが妥当であったかどうかをはっきりさせるのが目的です。このバカは本当に弁護士なのでしょうか。この検察官役の弁護士は、悪徳弁護士と同じ弁護士会に所属する連中で、悪徳弁護士とは同じ穴のムジナですから、仕方ないのかもしれませんが。起訴状を読んだ郷原弁護士、「ひどい代物」とあきれ果てたそうです。 
 また空きカンや岡田氏、野党、マスコミが、小沢氏は政治倫理審査会へ出て説明しろ、と言っていますが、かれらは政倫審の趣旨を全く理解していないノータリンか、あるいは分かっているがワザとやっている確信犯のいずれかでしょう。この会はそもそも小沢氏が作ったもので、これは、ある政治家に倫理的問題の疑いが持たれているにもかかわらず、検察が適切な捜査などをしない場合に、その政治家自らが国会で疑惑を説明することによって、疑惑を晴らし、本人の政治家としての権利を守るために行う自主的に行う会です。ですので、小沢氏が何度も言っているように、検察が捜査して起訴している段階なのであれば、政倫審に出ることそのものに意味がないということになります。なぜなら、政倫審は不当に検察が介入して政治家としての活動を妨害するのを予防するために行うものだからです。これが趣旨をはき違えられ、政治家の権利を守るためではなく、小沢氏を人民裁判にかけて、逆に政治家としての権利を侵害するために、悪利用されているのです。
 それでも、小沢氏は、「政倫審にでることが、国会運営に役立つのなら出る」と言いました。ところが、さすがは昼行灯、岡田氏は、政倫審へ小沢氏を出す事で国会運営をスムーズにするために野党の根回しも何もせずに、国会に出ろと繰り返すだけ。行ってみれば、戦略なしに突撃部隊に爆弾を持たせて突こっませて、無駄死にさせようとするようなものです。しかも自分の育ての親ともいえる上官に特攻させようとするのだからヒドい話です。ま、岡田氏も実家の企業をネタに脅されているのかも知れませんが。
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