ジョブズの半生タイムライン [1955〜1999]

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    ジョブズの半生タイムライン [1955〜1999]

    先日の序章はお読み頂けましたか? 米GIZMODOのブライアン記者お手製のジョブズ氏の半生を振り返るタイムラインです。とっても長いですが、本日は1955年から1999年までをどうぞ!

    【1955年】
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    スティーブ・ジョブズ(本名:Steven Paul Jobs)は1955年2月24日に誕生。

    ポール、クラリス・ジョブズ夫婦に養子として引き取られる。当時住んでいたのはサンフランシスコ45番通り。

    父ポール・ジョブズはタフな人だったらしい。US海上保安庁エンジン室の作業員の後repo manをしていた。またサイドで車の修理改造もして収入としていた。

    (※repo man=車を購入したが支払いが滞っている人から企業の依頼で車を取り返す仕事)

    ジョブズはとても活発な子供だった。

    子供時代に蟻退治用の薬品を飲んでしまって病院に運ばれたというエピソードも。

    養子にだされたことについて、ジョブズは後にこう語っている。

    「ある特徴について、それがどこからきたものだろうか? という興味を人が抱くのはごく自然なことだ。ただ、自分は環境を重視する人間だ。だから、どう育ったか、価値観、だいたいの世界観というものは自分の成長してきた過程で生まれてくるものだと思う。」

    【1963年】

    ジョブズの自信が垣間見える一言。彼は後年、小学校低学年時代の自分についてこう語っている。

    「小3の自分たちの成績を見てほしかったな。先生なんてこてんぱんだった。」

    【1965年】

    ジョブズは10歳にしてすでに、両親の目にもわかるほどにエレクトロニクスへの興味を大きくしていく。

    子供時代にヘアピンをコンセントにつっこんで、電気ショックを受けたこともあるぐらい。

    この頃、父ポールがrepo manの仕事をもっと大きく扱うために家族でPalo Altoに引っ越す。シリコンバレーが最初に発達していく地域である。

    【1970年から1971年】(その1)
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    米GIZMODOからフォトショップを使ったジョークです。

    わー! スキップ!

    改めまして、

    【1971年から1971年】(その2)
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    スティーブ・ウォズニアックに出会う。

    2人はエレクトロニクス、笑いのツボ、ボブ・ディラン、ビートルズといった共通点で一瞬で打ち解ける。

    2人はイタズラ好きで卒業式の最中にSWAB JOB(Stephen WozniakとAllen Baumの頭文字)と書いた垂れ幕を屋根から吊るそうとたくらんだが失敗。

    ウォズの教訓:イタズラは自慢げに人に話すな!

    とにかくイタズラ好きな2人だった。

    ジョブズにとって、ウォズは初めて出会った自分以上にエレクトロニクスに詳しい人間だった。

    ウォズはジョブズの人と接する時の自信ある態度を賞賛している。

    【1970年から1971年】(その3)
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    「エスクワイア」という雑誌に載っていたフリーキング(無料で長距離電話をかける方法)の記事を読み、2人はそのためのブルー・ボックスと呼ばれる公衆電話のコードを破って無料通話をするための装置を作り始める。ジョブズ、この時まだ高校生。

    材料費が40ドルのこの装置をキャンパス内で1つ150ドルで売り出す。

    ウォズはこれを使い、ヘンリー・キッシンジャーと名乗ってバチカンにイタズラ電話をかける。(ほんとにイタズラ好き!)

    2人はCap'n Crunchの愛称でしられるフリーキングの第一人者のJohn Draperに会いにいく。

    その歳、2人が乗っていた車の調子がおかしくなり、路肩に駐車して無料電話をかけようとしてる2人を警察は見つけ不振に思ったが、2人はブルー・ボックスをシンセサイザーだと言い張って難を逃れる。

    (※フリーキングは違法行為)

    【1972年】
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    オレゴン州のリード大学へ入学。1学期のみで中退。

    (後に、2005年スタンフォード大学の卒業式辞のさい、大学への進学は自身の産みの親による強い希望(約束)からだと言っている。)

    ジョブズとウォズの2人はこの頃、サン・ホゼのウエストゲートモールで、不思議の国のアリスの着ぐるみのバイトを経験。

    時給は1時間3ドル。

    【1973年】
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    中退後もキャンパス内を18ヶ月くらいうろついては、興味のある授業に顔を出す。

    この時に学んだカリグラフィーが、後のMac OSのタイポグラフィーに大きく関わってくることになる。

    【1974年】
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    カリフォルニアに戻り、アタリで働き始める。

    この時、ジョブズはアタリオフィスにアポなしで訪ねていって、採用されるまで帰らないからと言ったらしい。

    この時期ジョブズは友人のダン・コトケと共にインドにスピリチュアルの旅に出かける。

    旅のチケット代はダンの分もジョブズが負担。

    僧が集まり宗教活動を行う山の頂上で、ジョブズはうろうろぶらぶらしていたため、山頂より追い出される、さらに坊主頭にさせられる。

    インド旅行中にジョブズはLSDを経験。ダンはシラミのため頭を丸める。

    ジョブズはインド旅行を続けるようダンに所持金全てをわたし、自分はカリフォルニアへ戻る。

    アタリに戻ると、トップであるノーラン・ブッシュネルから直に特別プロジェクトを頼まれる。このプロジェクトとは後のゲーム、ブレイクアウト(ブロックくずし)である。

    ノーランはジョブズにもしこのマシンのチップの数を40以内にできたら特別手当を出すと約束する。

    これをウォズが手伝い、48時間で設計をする。それによって、ジョブズは特別手当を手に入れる。

    (ウォズの設計はあまりにも難解だったため、商品化はされず。)

    1985年にウォズは自分がジョブズからもらった額がピンハネされていたと知る、またウォズはこれに大変傷つき涙したとの噂も。

    後年、ウォズがこれをジョブズに問いただした時、ジョブズはそんなこと覚えてないと言ったそう。

    【1975年】
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    ウォズは地元のホームブリュー・コンピュータ・クラブ(「自家醸造」コンピュータ・クラブ)でテレビに出力できるサーキットボードの開発を発表して賞賛を得る。

    この時まだ、ジョブズはアタリ、ウォズはHPに勤務中。

    【1976年】(その1)
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    ジョブズとウォズ、Appleを設立

    Apple、特別な名前じゃないかもしれないけど、機能的。(Appleからの名前の由来に関する公式発表なし。)この名前はジョブズにオレゴンのリンゴ農家で過ごした時のことをいつも思い出させる。

    4月1日、2人は会社の同等の経営権利の書類にサイン。

    資金集めのために、ジョブズは赤/白のワーゲンバスを1500ドルで、ウォズはHP 65 プログラミング電卓を250ドルで売り払った。

    (ジョブズのワーゲンは売った直後にエンジンが壊れたために、結局半額分しか支払われなかった。)

    初めてのオーダーは50台のApple I。

    ここでジョブズはオーダーを勘違いして、完成マシンではなくサーキットボードを納品している。そのため料金の一部は自己負担に。

    年の終わりには150台のコンピューターを出荷する。

    【1976年】(その2)
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    2人はApple IIは手動でやるのではなく、サーキットボードからOSを読み込む仕様にすることを決める。

    また、ファンを使わずにやろうとしたため、ゼロからのデザインが必要となる。

    マイク・マークラは2人に投資した最初の人物

    マークラは2人の仕事をみて、5年後にAppleをフォーチュン500入りさせることができると考える。

    (※フォーチュン500はアメリカフォーチュン誌が年に1度掲載するアメリカ企業トップ500のリスト)

    【1977年】
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    1月3日にジョブズ、ウォズ、マークラの3人は、マークラの家で書類にサインをしAppleを法人化

    マイク・スコットが社長に就任。

    2つのことでジョブズに嫌な思いをさせる。

    1つ目は、スコットはウォズのコンピューター設計が何よりも会社に貢献していることを理由に社員番号1番をウォズに渡したこと。(ジョブズはのちに社員番号0番を自分の番号としている。)

    2つ目は、ジョブズに体臭がきつくてオフィスで臭うと発言したこと。

    ジョブズはインテルの広告会社Regis McKennaを採用して、Appleのデザインを強固なものにしていく。

    ロゴをレインボーカラーに。これは小さくても認識されるように。だが色が多くはいっているため、制作が高額になる。

    リンゴを1口かじったロゴは"bite(かじる)"と"byte(バイト)"とかけている。また、トマトにみえてしまわないためでもある。

    4月17日、Apple IIはthe West Coast Computer Faireで世界初の個人向けコンピュータ(ケース入り)としてお目見えする。

    ウォズはこのマシンをたった62個のチップで設計。ジョブズはそれらを全て簡潔にボードに仕込むことを要求。

    拡張スロットがついているが、ネジは全て裏にくるようになっていて見えなくしてある。

    Appleの初めのプログラマーのうちの1人Randy Wiggintonは、Apple IIの開発の過程でウォズとジョブズの2人の永遠の友情は弱まり始めたように思うと話している。

    ジョブズの恋人、Chris-Ann Brennanが妊娠する。

    ジョブズは父親になるのを否定し、彼女は堕胎を拒否しため、2人は別れる。

    【1978年】
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    5月17日、ジョブズに娘Lisa NIcoleがオレゴンで産まれる

    彼女の名前を考えたり、会いに訪れたりしているが、認知はせず。

    その時ジョブズは次世代のマシンのことを考えており、そのマシンもLisaと名付けられる。

    ジョブズはApple IIIのためにケースをデザインするも、エンジニアの設計した部品がはいらないほど小さなものに仕上がってしまう。

    Appleはクパティーノに引っ越し。

    Appleの最初のハロウィンパーティーで、ジョブズはイエス・キリストの仮装をする。

    【1979年】
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    ジョブズはLisaプロジェクトを開始。

    プロジェクト名の由来はLocal Integrated Software Architectureの頭文字とされているが、ジョブズの(こと時まだ否認知の)娘の名前からだとも噂され、社内ではLisaは"Let's Invent Some Acronym(Lisaは何の略かうまいこと言おう!)" の略だというネタが流行る。

    このコンピューターはXEROXのパロアルト研究所からの影響で、ウィンドウ表示とマウスで動くUIを特徴としている。

    ジョブズがパロアルト研究所でこの技術を見た時、大感動大興奮で飛び上がり「なんでこれをもっと何かに使おうと思わないだ? これこそ最高だ! 革命的だ!!」と大絶賛し、ローリング・ストーン誌にも「少しでも知識のある人間で、今後コンピューターはこういう動き方はしない、と言う人間がいるとは思えない。」と語っている。

    Los Gatosに家を購入するも、特にデコレーションをほどこすでもなく、Maxfield Parrish作の絵と、マットレスとクッション、家の中にある物といえばその程度。

    ジョブズはメルセデス・ベンツクーペを所持していることで知られるが、この年、自身にとって初のメルセデスを購入。

    BMWのバイクも購入している。

    ビジネスのために、髪を短くカットする。この頃から場合によってスーツを着ることも。

    ワープロ、AppleWrite発売。Apple初のプリンターSilenttypeと相互して動く。

    親子鑑定により、Lisa Nicoleは94.97%実の子供だという結果がでるが、ジョブズはまだ父親であることを否認

    Chris-Annは生活保護を余儀なくされるも、裁判所の判断により、ジョブズに養育費の支払いが義務づけられる。

    (写真は1982年にDiana Walkerによって撮影されたもの。)

    【1980年】
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    Apple株式公開。ジョブズは2億ドルを超える資産を手にする。

    インド旅行を共にした友人のダンは社員番号11番にもかかわらず株を一切与えられていない。

    その原因として、ジョブズとChris-Annが別れた後に、ダンがChris-Annの慰め役に回ったことでジョブズは裏切られたと感じたからではないか、との噂がある。

    その他、昔からの従業員でも株の配当がわずか、もしくは一切与えられていない人がいる。

    一方で、ウォズはウォズプランを設置して、会社から株を与えられなかった人のため、彼の持ち株の3分の1を売る。

    【1980年代】
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    時にはこんな口ひげも!

    (私立探偵マグナムが初めて放映されたのが1980年の12月。参考までに。)

    【1981年】(その1)
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    マイク・スコットは株には満足していたが、仕事への不満からCEOの役職を去る。

    ジョブズが社長に就任する。

    戦術の不一致と協調性のなさが理由でLisaプロジェクトから外されてしまったジョブズはジェフ・ラスキンのMacintoshプロジェクトに関わるようになる

    プロジェクト名はリンゴの品種McIntoshのもじりからつけられた。

    このコンピューターは千ドルで動くマシンにすることが目標。

    ジョブズは後々、このプロジェクトをラスキンから完全に奪ってしまうことを考えていた。

    電話帳を机に叩き付けて、この高さより大きいマシンにするな、とラスキンにどなったというエピソード有り。

    フログデザインとHartmut EsslingerによりMacのためのSnow White design languageが考案される。

    ウォズのApple IIとは異なり拡張ボードのためのスロットは作られなかった。Burrell Smith(元はサービスデパートメントのスタッフ)の創作性でデジタルボードが開発された。

    Macintoshプロジェクトはそのプロジェクト名でも他と異なる。

    Lisaプロジェクトのように多くのプロジェクトに女性の名前(妻、恋人、娘等)がつけられているのにたいし、ラスキンはその流行を打破すべくあえてまったく違う名前をつけた。(実は始めはAnnieプロジェクトとよばれていたらしい。)

    これらのことが起こるずっと前、1979年にジョブズはラスキンにコストを考える前に、新しいスペックのマシンを考えてみるように言っており、ラスキンは思いつく驚くような機能のアイディアをジョブズへの冗談のつもりでリストにまとめる。

    このアイディアリストは、後年多くのマシンに影響を与え実現しており、ジョブズは冗談ではなく実現可能であったことを証明している。

    MacのプロジェクトチームはReality Distortion Field(現実歪曲空間 )だったと当時の経験を振り返る。

    それは例えば、エンジニアの1人がジョブズにアイディアを伝えるとそれをくだらないと切り捨てるも、しばらくして何もなかったかのようにジョブズ自身がそのアイディアを持ち出してくる、と言ったような「?」いっぱいの状況のことである。

    Macの筐体はVWよりもポルシェのようであるべきだと言う。

    (ジョブズ自身、当時ポルシェ928を運転していた。)

    コンピューターの試作品をみて、デザインワードではなく車デザインワードで感想を述べる。

    【1981年】(その2)
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    ビル・ゲイツにMacintoshのデモンストレーションを行い、ゲイツはMac向けのソフトウェアの開発を約束する。

    しかし、2人は今後のコンピューターの方向性で意見が食い違う。

    ゲイツはビジネスでの面を、ジョブズは普通の人にとっての役立つものという面を重要視する。

    AppleとMicrosoftのライバル関係をドキュメンタリー風にテレビドラマ化した「Pirates of Silicon Valley」の中では、ゲイツは、この時にみたデモを参考にジョブズに内緒でWindowsの開発を始めたとなっている。

    AppleのエンジニアはゲイツにLisaを見せないようにしていた、同時に、デモでゲイツに見せた内容も秘密とされている。

    ジョブズはAndy Hertzfeldが秘密を隠しておけなくなってきていると判断し、「Shut Up!(うるさい!)」と怒鳴ってAndyを首にする。

    IBM初代コンピューターが発表された時、Appleはウォールストリートジャーナルに「Welcome IBM. Seriously.(ようこそIBM。いやほんとに。)」という広告をだす。

    この時ジョブズはIBMがこの競争に勝てば、「コンピューターの暗黒時代がこれから20年は続くだろう、IBMを市場から追い出してやるよ。こっちも準備はできてるんだ。」とコメント。

    (20年後、Windows搭載のIBMのコンピューターは実に市場の90%以上のシェアを獲得することになる。)

    【1981年】(その3)
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    IBMの前で記念撮影。パシャリ。

    【1982年】
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    ジョブズはビル・ゲイツとMicrosoftにApple以外のマウスを使用するビジネスソフトウェアの制作はしないと約束させるも、ゲイツはMacのソフトウェアを作りつつ、Windowsの開発をすすめる。

    当時、Macチームのオフィスビルにはプログラマー達にとっては早すぎる午後5時半に、自動でセットされる警報装置があった。このため、晩ご飯を食べてまたオフィスに戻るプログラマー達によって毎日のようにアラームが鳴りひびく。あまり何度も何度も鳴るので、ジョブズがついにブチ切れて警報を壊すように怒鳴った。MacintoshチームのAndy Hertzfeldがドライバーでねじをはずして警報装置を外してしまうと、警備会社からのスタッフが到着して怒られた。この時、ジョブズはこの責任は自分にあると言っているが、もちろんおとがめは受けなかっただろう。

    この頃ジョブズは歌手のジョーン・バエズと付き合う。

    ボブ・ディランの大ファンのジョブズにとって、ボブ・ディランの元恋人というのが彼女に惹かれた理由の1つではないかと噂される。

    ニューヨークのセントラルパークを眺められるthe San Remoビルの1室を購入。

    建築家のイオ・ミン・ペイに依頼し改築しているが、移り住むことはなく、後にU2のボノに売却することとなる。

    【1983年】
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    Macintoshチームのジョブズ「キャプテン」は海賊のような旗をビルに掲げる。

    Lisaチームによって盗まれるが、奪い返し、その後1年ほどはそのまま掲げられる。

    この年の前半に、TIme誌はMichael Moritzによるカバーストーリーでジョブズの黒い面を暴きにかかっている。

    それにはApple IIの設計にジョブズはあまり関わっていないというウォズの主張、その他多数の匿名からのジョブズに対する中傷が載る。

    ジョブズはお正月の予定をキャンセルし、この記事について考えたという。

    (※Michael Moritzはベンチャー投資家で、Googleのボードメンバーだったこともある。)

    ジョブズは自分の青ベンツを身体障害者専用駐車スペースに止めるので、ジョブズがオフィスにいるのはすぐにわかると言われた。

    人はジョブズがこのスペースに駐車するのは、彼が嫌な奴だからだと思っていたが、実はLisaやApple IIのチームスタッフがジョブズの車に傷をつけにくるからだと、David Bunnellが語っている。

    海軍にいくより、海賊になった方がいい。」とジョブズ。

    Macチームは多くの技術をLisaチームから盗んできた。とくにBurrell SmithがLisaで使われているプロセッサー(Moto 68000)と同じものをMacに持ってくる方法を見つけてからはそれが顕著である。

    が、ジョブズはMacとLisaの2つのマシンに相互性のあるコードを持たせるのを嫌がった。

    完成したLisaが当初の想定価格の5倍、1万ドルで市場にでる。

    IBMの3千ドルのマシンと競争し、つらい結果となる。

    ペプシからジョン・スカリーを引き抜いてCEOに就任させる。

    この際「Do you want to spend the rest of your life selling sugared water or do you want a chance to change the world?(このまま一生砂糖水を売り続けるのか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいと思わないか?)」と口説いたことは有名。

    スカリーのCEO就任を、彼に技術に関する知識があまりないことから懸念する者もいたが、そこをジョブズは上司になる人物に方向性を示唆できるチャンスだと見る。

    ビル・ゲイツがWindowsを発表。

    ゲイツは1984年には市場のIBMマシンの90%以上はWIndows OSになると主張。

    【1984年】(その1)
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    CHIAT\DAYのクリエイティブディレクターLee Clowに会う。

    Lee Clowはこの時「自分がやる意味があるほど、これはいい商品になるのかい?」とコメントする。

    ジョブズは、ブレードランナーのリドリー・スコット監督によるあの有名なCM「1984」をボードメンバーにプレゼンするも、一同猛反対。

    購入したスーパーボウルのCM枠を売りにだせと言われるも買い手が見つからず、結果放送したCMは大評判を得て、数々の賞を受賞することとなる。

    このCMはジョージ・オーウェルの小説の世界のように、新しい存在のMacが強大な独裁者IBMを打ち砕くという内容だった。

    ジョブズは「幸運だった。この1984という広告コンセプトはわかりやすいものだから、他の誰かに出し抜かれるんじゃないかと心配したが、どうやらその必要はなかったな。」とコメント。

    (※このCM枠はCM制作費75万ドルよりも高額だった。)

    Macが1月24日に発表される。

    この時、ジョブズは水玉柄の蝶ネクタイをつけ、ボブ・ディランの「時代は変る」の歌詞を朗読してからMacを発表した。

    Macは「Hello, I am Macintosh」とプログラムされた声で挨拶し、「自分にとって父親のような存在の人、スティーブ・ジョブズを誇りをもって紹介します」、と言ってジョブズを紹介した。

    Apple IIに取ってかわると思われたApple IIIは、ジョブズがApple IIcを発表することで終わりを告げる。

    Apple IIcはApple IIのアプライアンスされたミニヴァージョンである。

    「Apple II Forever」と名付けられたイベントでその功績がたたえられた。(その時6.2度の地震が起きた。)

    【1984年】(その2)
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    好調なスタートを切ったMacだったが、バグの発生と競争力にとんだ機能のなさから、だんだんと売り上げがおち始める。

    プログラマー達の間で、プログラムやファイルを保存するために連続してディスクを変え続けなくてはいけないことから「ディスク交換五輪」や「ディスク交換ヒジ負傷者」等のネタが流行る。

    Microsoftの3大アプリケーション、Paint、Word、Writeは当時貴重なものだった。

    自分のやりたいこと以上の市場調査を行わないジョブズを人々が責め始める。

    Lisaチームの主導権を再びジョブズが握る。

    MacとLisaチームに罵声をあびせることもしばしば。

    「週90時間の労働大好き!」をモットーとし働かされるジョブズのMacチームスタッフは、 Lisaチームに比べてひどく賃金が低い、それどころか他のMacチームのジュニアエンジニアと比べても低いということに気づく。チームはジョブズに裏切られたと感じる。

    ボーナスを出すことでこの不満はいくらか緩和されるが、今度は会社に利益を運んでいるApple IIチームがMacチームへの特別扱いについて不満を持つ。

    ジョブズは「1984」のパロディ「1944」でルーズベルト大統領を演じる。

    これは、MacがIBMに戦争をしかける話で、5万ドルで制作され、インターナショナルセールスチームにむけてワイキキのアニュアル会議で放映する。

    「IBMは我々に地球から消え去ってほしいみたいだね」とジョブズはフォーチュン誌にコメント。

    当時の恋人はベトナム戦争戦没者記念碑のアーティストMaya Lin。

    建築家George Washington Smithのデザインで1926年にDaniel Cowam Jacklingが建てたJackling Houseを購入。

    この17,000平方フィートの豪邸に10年ほど住むが、特にインテリアに凝るでもなく、その後は人に貸している。

    【1985年】(その1)
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    当時の大統領、ロナルド・レーガンよりジョブズとウォズにアメリカ国家技術賞が贈られる。

    これに前後して、ジョブズはウォズがAppleを退社したことを知る。

    ウォズはこの後、ロッキー・クラークという名でカリフォルニア大学バークレー校に入学しCS/EE(電子工学)の学位を取得する。

    ジョブズの30歳の誕生日パーティーでエラ・フィッツジェラルドがライブを。

    このパーティーはサンフランシスコで行われ、ブラック・タイのフォーマルなダンスディナーパーティーだった。

    ジョブズはBo Derek(ギークなスーパーモデル)のもとを訪れ、マックユーザーに乗り換えさせようとするも、BoはジョブズにもMacにも特に心動かされず。

    プレイボーイ誌のインタビューで、ジョブズはアメリカのヨーロッパにおける核の操作にApple IIが使われていたことを知り、非常に好ましくないとコメント。

    (ジョブズはこの情報を偶然にあるビデオを見てしまったことから知る。)

    Appleの役員達はジョブズのMacの需要予想が大きく計算違いだったことを責め、ジョブズのマネージメントスタイルに対して不満と怒りを表し始める。

    ジョブズのマーケティングの補佐でもあるMike Murrayは、Appleの問題点をまとめたメモを作り、ほとんどのことをジョブズの責任だとする。このメモを見せられたジョブズは、少し毒を抜かれたようになる。Reality Distortion Field(現実歪曲空間 )が薄まる。

    役員とスカリーはMacチームでのジョブズの権限を奪い、Lisaのプロダクトラインも中止する。

    スカリーは中国出張中に、ジョブズが彼を追い出そうと計画していると、副社長から密告を受ける。

    これをジョブズに問いただすと、ジョブズは「君はAppleにとって害になっていると思う。君に会社の経営をさせるのは間違いだ。」と開き直った。

    翌朝、スカリーは緊急ミーティングを開き、「この会社を運営していくのは自分だ。君にはでていってもらいたい。今すぐに!」と発言し、ミーティング参加者全員に、スカリーかジョブズかを選ばせた。

    その間ずっとジョブズは口を開かなかったらしい。

    ジョブズはスカリーのリーダーシップを賞賛するも、背後で最後の打撃を食らわそうと計画する。

    5月28日、火曜日の夕方、ジョブズは会長職以外のAppleでの全ての仕事を奪われる

    友人達はジョブズは自殺するんではないかと心配する。

    【1985年】(その2)
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    NASAに掛け合って宇宙船にでも乗るか? 政界デビューするか? バイオテクノロジーでも研究するか?

    ジョブズは次のステップを考えてみるが、やはり自分の情熱は革新的な製品を作ること、新たな冒険的なビジネスを考えることにあると確信する。

    ジョブズはAppleに自分は他の新しいことを始めるので、完全に退職したいという旨を伝える。

    Appelは初め彼を会社に残して彼の新会社に投資することを検討するも、ジョブズがAppleのキースタッフを新会社へと引き抜いているのを知り、ジョブズは完全に退職することとなる。

    退職は夕暮れ時。Mike Murrayに退職届をわたしながら、プレスもよんで、実にドラマティックに退職する。

    この時ジョブズは、「もしAppleがコンピューターをただの日用品と考え、ロマンスは消え、コンピューターとは人間が生み出した最も優れた発明品だということを忘れてしまったのなら、自分にとってAppleは失われてしまったということだ。だがもし、自分がどんなに遠くにいても、まだこんなふうに考えてくれる人がいるならば、それなら自分はまだAppleの中に存在しているように思う。」とプレスに向けて劇的なコメントを残す。

    ジョブズはAppleのマネージメントへの信頼がかけるとして、当時持っていた400万株以上(千百万ドル以上)を売りに出す

    この時1株だけ手元にのこす。

    この理由として、センチメンタルな気持ちからだとも、決算報告をうけるためだとも噂される。

    Appleは新会社設立のためにAppleのノウハウを使ったとしてジョブズを訴える。

    これに対してジョブズは「資産20億、従業員4300人の会社がたかだか6人のジーンズ姿の会社と何を競うことがあるんだ?」と返答している。

    この訴えは裁判所に持ち込まれるまえに取り下げられている。

    MicrosoftはWindows1.0をリリース。

    Windows1.0は初期の頃のMac OS GUIsのまねたものであった。

    (Mac OS GUIsはXerox GUIsをまねたようなものだが。)

    スカリーはMicrosoftがWindows版Excelのセールスを留保し、Appleへこのビジネス市場参入のとっかかりを与えることを条件に、ビル・ゲイツにMacの技術をWindowsで使用することを許可する。

    ジョブズは新会社NeXTを設立。

    初プロジェクトは、ジョブズのバイオテクノロジーへの興味から、高等教育のため、生徒のために安く、だが高度な研究のシミュレーションも可能なコンピューター開発となる。

    当時、ビジネスウィーク誌にAndrea Cunninghamのコメントいりで記事が書かれる。

    「ジョブズがやりたかったことの1つは、世間にAppleはただのラッキーだったわけじゃないってことをしらしめることでもあった。そしてスカリーにジョブズを追い出したことは失敗だったと証明したかったんだ。」

    (Andrea CunninghamはNeXTの元広報担当)

    この年のどこかで、AppleはLisaの生産中止を決定する。

    【1986年】
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    IBMのロゴを手がけたことでも知られるデザイナーのポール・ランドにNeXTのロゴを含むブランドアイデンティティのデザインを10万ドルで依頼する。

    娘のLisaとの関係を築き始める。Lisa、7歳。

    Appleの自分の持ち株を売り終わる。

    ルーカスフィルムのコンプーターグラフィック部門であるPixarを1000万ドルで買収する。うち500万ドルはPixarの運営に使われる。

    (この値段は、離婚費用を用立てるためにさっさと取引をすませたがったルーカスの事情もあり、かなりディスカウントされたものだったらしい。このおかげでルーカスはなんとかスターウォーズの株を売らずにすんだという噂。)

    ジョブズは後に、「1986年にこれからPixarにいくら投資していくことになるかわかっていたら、絶対買収なんてしていなかった。」とコメント。

    【1987年】
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    ロス・ペローがジョブズをテレビでみて、投資したいと電話をかけてくる。

    ジョブズは冷静を装うため、わざと1週間まって返事をする。

    ペローは2千万ドル出資して、NeXTの株16%を手に入れる。

    ジョブズは30代のどこかで、彼の生みの親の詳細を知ることになる。

    母、Joanne Carole Schieble、スピーチセラピスト。

    父、Abdulfattah Jandali、シリア人の政治学者。

    そして、妹がいる事も。Mona Simpson、現在小説家として活躍中。

    Mona は自分の本「Anywhere But Here」の出版パーティーにジョブズを連れていき、パーティーに出席している人に2人は兄妹だと告げる。

    Monaの小説「A Regular Guy」に登場するメインキャラクターのモデルはジョブズだという噂も。

    Monaの夫Richard Appelはザ・シンプソンズの脚本家で、キャラクターのマージ・シンプソンの母親の名はMonaから付けられている。

    ジョブズにとって、自分とMonaがとても似ていると感じることはとても衝撃的であった。

    Steve Lohrはニューヨーク・タイムズ誌に「この衝撃は、ジョブズに運命というものを感じさせ、人生にはコントロールできないものもあるのだと思わせた。今の彼を取り囲む状況への切迫した気持ちを落ち着かせることにもなった。つまり、遺伝子とは妙なもの、ということだ。」

    この何年か前に、ジョブズは彼の性格は産みの親や遺伝子からくるものではなく、どんな体験をしたかから作られていると主張していた。

    NeXTのロボット工場は賃金の問題からではなく、品質向上のため、サーキットにより正確にはんだづけできるレイザーを使うために、フリーモントに建てられる。

    【1988年】
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    WindowsがMac OSに酷似してくる。

    AppleはGUIを模倣した、また当初の条件(Macの技術はWindowsでは1.0までのみ使用許可)に反したとして、Microsoftを訴える。

    ジョブズはとあるパーティーで、スペインのKing Juan Carlos Iにまだ発売前のNeXTコンピューターを売る。

    10月、NeXTコンピューター(愛称Cube)はシンフォニーホールでステレオサウンドプロセスを引っさげてお目見えする。

    このマグネシウム合金製のマシンには、イーサネットポート、インライングラフィック、Eメールオーディオ、それに17インチの白黒モニターが組み込まれている。

    当時、ほとんどの大学はカラーモニターを好んでいた。また、光磁気ディスクは多少値がはり、動きも遅かった。

    フロッグデザイン、Esslingerは自由に設計していいならとの条件をだし、このID作業を進める。

    広報はジョブズは少し角がとれて、自分で自分に気づくところがでてきた、とプレスに伝える。

    一方でやはりジョブズはジョブズだという話も。

    スタッフの1人はこんな話を。

    「みんなで1人1票投票しようってなった時、ジョブズは1人で70票分も投票してた。」

    とは言うものの、やはりジョブズに変化が見られる。その1つとして、かなりかわったNeXTにおける給料の方法。

    90年代の初めまで、NeXTの給料には2段階しかなかった。5万ドルと7万5千ドル、どちらになるかは、どの段階でこの会社で働き始めたか。

    給料日は月1回。給料はこれからの4週間分が前払いされていた。

    シニアスタッフでNeXTに来た人には2%の株が与えられた。

    めちゃくちゃなルールの給料と報酬だった初期のAppleとは大きな違いである。

    NeXTマシンのターゲットとなる多数の大学から重要人物を招いたあるディナーパーティーで、スタッフはジョブズのためにベジタリアン用の食事を用意しておくのを忘れてしまう。

    そのことに腹を立てたジョブズは、ディナーでのメインディッシュを全員分キャセル。呼ばれたゲストはお腹をすかすはめに。

    【1989年】
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    Appleはビートルズのアップル・レコードより訴えられる。

    ビートルズの大変なファンで知られるジョブズ。自身のビジネスモデルはビートルズのそれと通じるところがある、と発言。

    個々よりも、その個々が集まったグループとしての方がよりよいものになるということ。

    AppleはXeroxにGUIで訴えられる。

    NeXTのcubeが購買者へと届けられはじめる。

    納品が遅れていると連絡がくると、ジョブズは、それでもこのコンピューターは5年先を行ってるんだ、と言ったそう。

    この年、Appleは不売在庫による税金控除を受けるため、売れ残った最後のLisa2700台をユタ州ローガンの埋め立て処理場に捨てる。

    Mac Portableが発売される。

    【1990年】
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    スタンフォードのビジネススクールで講演した時、ジョブズはローレン・パウエルに出会う

    その夜、ジョブズにはビジネスディナーの予定があったが、ローレンとディナーに行く。

    「駐車場の車の中でキーを車にさしながら考えたんだ、今日が自分にとって地球最後の日だとしたら、自分はビジネスディナーとこの女性との食事、どちらに行くだろうか? 考えてるうちに、駐車場から走って行って、彼女を食事に誘ってたよ。返事がYESだったから、そのまま一緒に街にでた。その日から我々はずっと一緒にいる。」

    【1991年から1992年】
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    PowerBookが発売される。

    ジョブズとローレンは3月18日に、ヨセミテ国立公園のアワニーホテルで式を挙げる。

    仏教僧Kobin Chinoがとり行う。

    この年後半、第1子、Reed Paul Smithが産まれる

    ジョブズが一時期通ったリード大学を由来として名前がつけられる。

    この頃から、娘Lisaはジョブズと暮らし始め、10代の間それを続ける。

    【1993年】
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    Newton Message Padが発売される。

    Macintosh TVが発売される。

    6月にスカリーが退職、後をApple Europeのトップ、マイケル・スピンドラーが引き継ぐ。

    NeXTマシンを5万台売り上げた後、NeXTはハードから撤退し、ソフトウェア開発に集中する。

    NeXTSTEP OSを486インテルプロセッサで作動させるために再構築を始める。

    【1994年】

    PowerMac 6100/60が発売される。

    QuickTake Cameraが発売される。

    【1995年】

    ジョブズと友人兼オラクル設立者であるラリー・エリソンは休暇で一緒にハワイに行く。

    その時ビーチを散歩しながら2人でApple買収の作戦をたてる。2人は3百万ドルを用立て、ことの進行はジョブズにまかせることに。

    「我々はこれを通じて本当にとても親しくなった。でもこの作戦にジョブズが反対したんだ。」とエリソンはニューヨーク・タイムズに話している。

    ジョブズは「やはり自分は買収する悪者のようなタイプになるのは違うと思った。まぁ、もし戻ってこいって言われていたら、また違う結果になっていただろうね。」と語っている。

    Pixarがトイ・ストーリを公開する。

    これによって、ジョブズの持ち株80%が6億ドルの価値を生むことに。

    公式のMac Cloneプログラム(互換機ライセンス)が開始される。

    ジョブズとローレンの間に第2子Erin Seinnaが産まれる

    MicrosoftとAppleの訴訟が、Appleに不利な形で終了する。

    【1996年】
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    ジョブズのコメント

    「Microsoftが劣等な物を作っているという事実にただ悲しくなる。」

    フォーチュン誌にジョブズは

    「いいかい? 自分はAppleを救うすごいアイディアを思いついた。詳しくは言えないが、Appleにとって完璧なプロダクト、完璧な戦略を思いついたんだよ。でも、Appleの連中は自分の言うことなんて聞きもしないんだけどね。」とコメント。

    ギル・アメリオがスピンドラーにかわってAppleのCEOに就任。

    Appleの株は12年ぶりに最低値になる。

    Appleの古くなってきたOSは次の何かを求めていた。

    BeOSを買収すること、MicrosoftからWindows NTをライセンスすることを考えるが、結果的にNeXTのNeXTSTEP OSにいきつく。

    NeXTSTEP OSは現在の全てのMacやiPhoneで使われているOS XのUI、設計、多機能性に直に影響を与えている。

    AppleはNeXTを4億3千万ドルで買収することを発表。ジョブズは150万株を手に入れ、非常勤顧問として「多くの経験と傷跡」を持ってAppleに戻ってくる。

    Pixarスタッフが、「ジョブズはずいぶん丸くなったと思う。前は人が話し始めて3言目には、もういい、つまり私が思っているのは、と遮っていたけど、最近ではもっと話を聞いてくれるようになった。彼は前よりもはるかにリラックスしてるし、分別もあるよ。」と話すように、ジョブズは前よりも人を信頼するようになったようである。

    ジョブズ自身も「人をもっと信じるようになった」と話している。

    ジョブズは1985年以来はじめて、Appleに足を踏み入れる。

    彼がいた当時とはまるで様子が変わっていた。

    【1997年】

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    「ジョブズはアメリオをめちゃくちゃにするつもりだ。アメリオの鼓膜は破れるね。」とは、匿名元Apple社員がニューヨーカー誌にジョブズ復帰についてコメントしたもの。

    その通りに、ジョブズは素早くアメリオを追い出し、自身が暫定CEOに就任する

    ジョブズのコメント

    Appleを救うために必要なのはコスト削減ではない。必要なのはこの窮地に立たされた現状を革新することだ。

    ジョブズはDellのコンピューターのことを面白みのないただのベージュの箱と揶揄。

    マイケル・デルはこれに対して、自分がAppleを経営すれば株主にきちんとお金を渡せるのに、と応戦。

    ジョナサン・アイブが入社。

    Appleのデザイン新時代が始まる。

    アイブの初めのプロジェクト、DVDプレイヤー、TVチューナーのついた20周年記念Macintoshが発売される。

    【1998年】

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    ジョブズは多くのプロジェクトを中止させ、コンピュータだけに焦点をしぼる。

    Eve Jobsが産まれる。

    最初のiMacが誕生する。

    【1999年】

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    Pirates of Silicon Valleyが放映される。

    ノア・ワイリーがジョブズを、アンソニー・マイケル・ホールがゲイツを演じている。

    映画はスーパーボウルのCM枠で放送されたCM「1984」のセットから始まる。

    ふぅ...。いかがでしたか?

    明日は2000年から今です!

    序章:ジョブズの半生タイムライン [制作者ブライアン記者のアツい思い]

    ジョブズの半生タイムライン [1955〜1999]

    ジョブズの半生タイムライン [2000年〜今]

    Brian Lam(原文/そうこ)

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