2013 ARCHIVES

62(特別版) 憲法学習を草の根で広げ、自民党の改憲策動を粉砕しよう 13/03/20

63 (特別版2) 安倍改憲政権の企む日本改造の正体―国難が生む“ファシズム”にどう向き合うか 13/05/09

64 だれが牧伸二を死なせたか―時代を映し出せなくなったメディア 13/05/23

 

 

 

2012 ARCHIVES

59 戦争が終わった日の明るさを想像してみよう 12/05/27

60 プロとしての誇り―ジャーナリストのディグニティを考える 12/08/02

61 目くらましに騙されまい―都知事選こそ総選挙勝利のカギ 12/11/18

 

2011 ARCHIVES

54いますぐ必要な 「モラトリアム」 という考え方―メディアは政治休戦と 「復興」 への環境整備を促せ―11/04/25

55なぜか申し訳ないと感ずる私の東北への思い―そこに若者のフロンティアをこそ求めたい―11/05/14

56菅内閣不信任に向かう政治策動を許すな―反原発で総選挙をたたかう共同戦線構築を―11/05/31

57 公務員・公僕・国民・憲法を考えさせられた―この国は 「原理」 というものを見失っていないか―11/06/10

58 子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ 11/07/08

 

2010 ASCHIVES

49迫られる「アメリカに負けた日本」からの脱却10/01/01

502010年 ・ 全国の新聞社説 ・ 論説における憲法論調の主な特徴10/06/08

51 クジラと石油と子ブタ 映画 「ザ ・ コーブ」 騒動が考えさせてくれたこと10/07/14

52いよいよ白熱化する安保・普天間問題めぐるたたかい10/08/07

53沖縄とジャンヌ ・ ダルク ― そして尖閣諸島のこと10/10/06

 

2009 ARCHIVES

40マスコミ九条の会 年頭随想 正念場・2009年の「初夢」09/01/01

41オバマで進歩追うアメリカ、麻生で退化する日本(2)―米国の守旧派は日本の政治の自壊を喜ぶ―09/03/05

42朝日『広告月報』休刊に感じる時代の変化―マス・メディアはもはや「昔を今になすよしもがな」か―09/03/22

43草彅剛全裸事件」が伝えたものは何だったのか―海賊対処法案は何ごともなく衆院を通過した―09/04/30

44生存権」中心に「活憲」論勢いづく護憲派新聞―09年・憲法記念日の57新聞社説からみえるもの―09/05/22

45光当たる新たな沖縄 「密約」 裁判の歴史的意義―注目すべき第1回公判と報道が掘り起こす新事実―09/07/06

46総選挙で国民はどのような新政権を求めているか―自公政権打倒を目指す野党3党の戦略 ・ 政策を聞く―09/08/22

47政権交代で歴史を変える方向付けはできたか―新政権囲むメディアの大合唱は 「変えるな」 ―09/09/14

48鳩山首相の「東アジア共同体」をどう考えるか
―日本は独創的な地域統合のモデルをつくれ
―09/11/15

 

2008  archive

巻頭言2008年は「総選挙」の年か、「日米同盟」強化の年か ―マスコミが示すべき目標は「対米従属」からの脱却だ― 08/01/15

28NHK記者インサイダー株取引問題のなにが問題か ―新聞は同僚を激励し、危機からの脱出を助けよ― 08/01/24

29「ロス疑惑」三浦和義元社長のいま再登場はなぜか—助かるのは日米軍事一体化を企む両国政府—08/03/01

30 沖縄・米兵少女暴行事件はどこにいったのか  ―時代の危機乗り越えるジャーナリズムへの期待―08/03/29

31国家主義・右傾化に執着するメディア —しだいに露骨さ増す産経・読売の論調—08/04/26

32「9条世界会議」と新聞の憲法論調の変化―シンポ「憲法九条とメディア」で語られたこと―08/05/14

33確信強める護憲派新聞・動揺隠せぬ改憲派新聞―08年・憲法記念日の55新聞社説からみえるもの―08/06/01

34 腹が立つ最近の政治とメディアの年金改革論議 ―若者よ、年寄りがなぜ怒るかを理解してほしい―08/07/01

35 心配が募る北京五輪後の中国・日本・世界―新しい何かを創造する協力のあり方が問われている―08/08/12

36 本当の危機は国民を愚弄する政局のショー化だ―福田首相の政権投げ出しに甘いメディアの態度―08/09/04

37米国発の世界金融危機と歴史の「未知の領域」―待望される腐朽した資本主義からの脱却―08/10/16

38NHK経営委員候補に推されて考えたこと どんな情勢の下でなにをやる必要があるのか08/11/30

39オバマで進歩追うアメリカ、麻生で退化する日本(1)―歴史の転換点に立つ政治のあり方を考えるー08/12/10

 

2007 archive

 

巻頭言 2007年をどのような時代として受け止めるか 07/01/01
14みんなが望む「戦争への道」ができていくのか―メディアの責任を問う-2006年12月15日―07/01/01
15 「従軍慰安婦」番組訴訟 高裁判決の意義を考える―マス・メディアにできることが明らかになった― 07/02/01
16安部首相の従軍慰安婦問題発言が招く日本の孤立 ―多数派メディアの奮起でメディアの裏切り抑止を― 07/04/04

17教育基本法改悪にも匹敵する政府の放送法改悪 ―マスコミ関係者に課せられた改悪粉砕のたたかい― 07/05/06
18憲法施行60年 「護憲」の論が6割超 各紙社説 ―鋭い危機意識反映 地方紙 「改憲」に傾く全国ー07/05/17
19「内閣打倒」を叫ばなくなったメディアのいま―参院選前の失政糾弾は公平・公正にもとるか―07/06/05
20朝鮮総連本部ビル売却事件の本当の問題はなにか―マスコミ報道のあり方も深刻に問われている―07/06/17
20ex6月28日夜「TBSニュース23」が注目スクープ 朝鮮総連本部ビル売却事件で明らかになった新事実/07/06/29
21「軍の命令」「軍・官憲の関与」とはこういうものだ―マスコミはまた「軍・官憲」の側に立ちだしたか―07/07/05
22民的議論が必要な総務省「情報通信法案(仮称)」 ―メディア総研がパブリック・コメントで全面批判―07/07/24

22a総務省『通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間とりまとめ』に対するメディア総合研究所のパブリック・コメント 07/07/24
23参院選・安倍政権大敗後の政治情勢をどう捉えるか―アメリカがテコ入れする改憲と「政界再編」に注目― 07/08/16
24メディアはいまこそ安倍首相自滅の意味を問え  ―福田vs麻生の後継争い報道にうつつを抜かすな―07/09/21
25長井カメラマンのミャンマーからのメッセージ ―ジャーナリストよ、命と平和の危機に敏感であれ―07/10/04
26メディアはついに権力の陥穽にはまっていくのか―朝日・読売・日経の事業提携が提起する問題を考える―07/11/03
27 NHK次期会長問題をメディアはもっと真剣に報じよ ―古森経営委員会をこそ、市民の声で「改革」すべきだ―07/12/24

 

 

2005-2006 archive

 

1忘失されている楽天・TBS統合提案問題への視点 05/12/10

2マスコミに働く人みなが問われている/06/01/01

3ライブドア証取法違反事件の裏に隠れているものはなにか 06/01/31

4いま、いったいなにがニュースなのか?06/01/31

5格差社会はだれがつくったかに切り込む毎日の報道 06/03/31

6「客観報道」の裏に隠されるものこそ問題だ 06/04/29

7「国民投票法案」そのものが違憲ではないのか 06/06/01

8メディアよ、鋭敏に気付き、議論を起こしてくれ! 06/07/01

9 日米首脳外交60年の変化をみせる二つの写真 06/08/01

10 日米首脳外交60年の変化をみせる二つの写真 06/08/01

11安倍新首相の「美しい国、日本」はどこにいくか 06/10/04

12なぜメディアはニュースの核心を衝けないのか―世界史未履修事件は学校と生徒だけの問題ではない―06/11/01

13教育基本法・防衛「省」報道の呆気なさに驚く―日本は世界史の新しい流れに逆行するのではないか―06/12/05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桂敬一/日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授/ メディアウォッチ(64) だれが牧伸二を死なせたか―時代を映し出せなくなったメディア 13/05/23

 

 

 

 

 

だれが牧伸二を死なせたか―時代を映し出せなくなったメディア

      

桂敬一(マスコミ九条の会呼びかけ人・日本ジャーナリスト会議会員・元東大教授)

 

 

 4月30日、新聞・テレビがいっせいに、戦後昭和の最盛期にウクレレ漫談で人気を博した、牧伸二の死を報じた。続報によれば、彼は前日29日未明、東京・大田区と神奈川・川崎市とを結ぶ中原街道の丸子橋の手摺りを乗り越え、下を流れる多摩川にみずから身を投じた、ということだ。橋の欄干には彼が遺した杖が立てかけてあったという。彼は11年前、脳出血で後遺症に悩まされ、歩行には杖を必要としていた。橋の中央までゆくのに車を使った形跡がない。タクシーを使っていれば、何らかの情報が得られたはずだ。東急・多摩川線の多摩川駅か、ひとつ蒲田寄りの沼部駅で下車し、難儀しながら辿り着いたのか。あるいは自宅は大田区だというので、丸子橋が近かったのなら、川に向かうあの中原街道の長い坂を、橋の半ば目指し、不自由な足で下っていったのだろう。遺書は発見されてない。二度と戻らぬ道を、覚束ない足どりで独り往く彼の姿を想い浮かべるとき、悲しみとともに、なぜか、いいようのない大きな怒りを感じる。

 

 私は若いころ、ほとんどテレビをみない人種だった。みることができなかったのだ。姉や弟が中学卒で働く、食うや食わずの暮らしの家に、テレビはなかった。私は昼間の都立高校に通っていたが、週日は全部、よそで晩飯付きの家庭教師。夏休みなどは町工場などでのアルバイト。仮に狭い家にテレビがあっても、みる時間がなかった。大学にいっても事情は同じ。大学の4年からは、家にもいられず、裕福な叔母の家に間借りし、家を離れたが、週7回の家庭教師、翻訳などのアルバイトに追われ、そこには寝に帰るだけで、茶の間のテレビはみることもなかった。大学3年の1958年、日清製粉社主の令嬢、正田美智子さんが皇太子(現天皇)と婚約、「粉屋の娘」が王子様に見初められたと、メディア好みの話題が弾け、ミッチー・ブームが巻き起こり、プロダクト・ライフサイクルの初期段階にあったテレビが100万台の大台に乗り、ご成婚の翌年には一気に200万台に達し、本格的普及期に突入した。私は、月給の安い団体に就職、東武東上線の郊外に建つ、住宅公団の世帯者向け団地に独りで入居していた兄に誘われ、同居することになったが、二人一緒でも、テレビを買う余裕はなかった。蕎麦屋の壁の棚の上とか、駅前広場のヤグラの上とかに置かれた受像機で、力道山や美空ひばりを眺めるのが、テレビというものだった。

 

 テレビがうちにきたのは、1963年になってからだ。兄は60年安保の騒ぎが収まった翌年ごろ、神奈川・川崎市の中学の教員に採用されたが、埼玉・川越近くの団地からはとても通いきれず、居住名義をそのままに、私を残して出ていった。それから3年近く独り暮らしをしていたが、いつの間にか女性と一緒に暮らすことになった。職場にアルバイトにきていた女性、現在の妻だ。多摩川べりの町から埼玉の辺鄙な団地によく遊びに来たものだ。来るたびに、鍋や食器の類が増え、やがて電気冷蔵庫が来着、ついで本棚が来て積み上げてあった本が収まり、畳部屋が片づき、本人がそのまま自宅に帰らなくなったころ、ダイニングキッチンの冷蔵庫の上に、小さな白黒テレビが鎮座した。結婚式はしなかった(カネがなくてできなかった)が、到来の品々は妻の嫁入り道具というわけだ。そのテレビで日曜日に発見したのが、牧伸二だった。日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)、日曜日正午からの「大正テレビ寄席」の司会者として活躍していた彼である。落語は好きだったので、ラジオでよく聴いており、あまり好きではなかったが、同じ寄席芸の漫才や声色・物まねも、多少は知っていた。ところが、牧伸二司会のこの番組の出演者の笑わせ方は、伝統的な寄席芸のそれとは、ひと味もふた味も違っていた。漫才の「コロンビア・トップ・ライト」はすでに馴染みの存在だったが、ここでは痛烈な政治風刺を放ったりした。初めてお目にかかる「コント55号」や「てんぷくトリオ」は、奇っ怪な所作とともに、痛快な社会風刺を披露してくれた。それらは、時代の不条理を映し出していた。

 

 司会の牧伸二自身が、ウクレレを爪弾きながら登場、例の「やんなっちゃった節」の新作を、鼻歌の乗りでいくつか紹介、番組の気分を盛りあげるのが慣わしだったが、その多くが政治や社会の出来事を風刺するもので、それはニュース性豊かなものだった。「ビルが建つよ、道路ができる/高速道路のその裏側で/スピードアップは汚職です/オーショク(汚職?)人種じゃ無理もない/ああ、ああ、やんなっちゃった/ああ、ああ、驚いた」。最初の4つの区切りがそれぞれ1行で、4行詩(ソネット)だ。それにどの作にも「ああ、ああ、やんなっちゃった」のリフレインがつく。高度成長で会社が大いに潤い、その余滴が社員にも回り、マイカー、マイホームにありつける人も増えていった。ところが、安月給のわが家は、高度成長の余恵とは無縁だった。「公約すぐに忘れちゃう/政治家やはり呆けてるか/いえいえ呆けていませんよ/上に「と」の字がついてるよ」。列島改造計画といっても、こちらにはピンと来ない。政治家の汚職の大型化ばかりが鮮烈に思い出される。牧伸二は、時代に流される国民大衆の軽佻浮薄にも、遠慮のない裸の眼を向けた。「フランク永井は低音の魅力/神戸一郎も低音の魅力/水原弘も低音の魅力/牧伸二は低能の魅力」。だが大衆を、ただ冷たく突っ放すのでなく、自分をも茶化す眼差しがそこにはあり、それが優しさを保証していた。後のたけしのようには、シニシズムに陥らなかった。

 

 わが家にテレビが来た。おかげで、滑り込みセーフで東京オリンピックもテレビで見られた。しかし、世間を知るものとしては、牧伸二との出会いのほうによほど大きなありがたみを、テレビに感じた。だから腹が立つのだ。なんで今のテレビには「牧伸二」がいないのか。そもそも彼をそこにいられなくさせたのも、今のテレビのせいではないのか。彼自身に限れば、年齢とともに体力も衰え、時代感覚も鈍磨し、才能が涸渇したのかもしれない。しかし、才能のある若者たちが彼のあとを襲ってつぎつぎに出現、鋭い政治風刺、社会風刺でテレビを賑わせ、国民大衆を笑わせつづけてきていたら、それを見る彼も嬉しく思い、満足したに違いない。自分の苦労が報われたことを日ごろ目にしていたら、彼も自殺はしなかったはずだ。それにしても、なぜテレビはそういう才能を、つぎつぎに生み出すことができなかったのか。バブル崩壊直前の80年代末、風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」が登場した。ネタはいくらでもあった。だが、小泉構造改革のころは、まだ多少テレビでも見かけたが、もっとネタになるはずの第1次安倍内閣ぐらいからは、とんとテレビに現れなくなった。見たければ、劇場公演にいくしかなくなった。「爆笑問題」もせっかくの才能を燻らせっぱなしだ。「3・11」後となると、ネタはいっそう溢れかえっているのにだ。最近、ユーチューブにアップしてあった「原発やんなっちゃった節」のソネットを発見した。なんと大震災発生後、3か月も経たない6月1日のアップだ。「ただちに影響ありません/健康被害はございません/20ミリでも安全です でも/20年後は知りません」、「ヨウ素の半減期は8日間/セシウムならば30年/プルトニウムは2万4000年/そんなに長生きできません」、「津波の高さは 想定外/電源喪失 想定外/炉心溶融 想定外/あんたの給料も 想定外」。冴えているではないか。投稿なので、オリジナル作詞者の名前が分からないのが残念。

 

 ヨーロッパはエンタテインメントとしての政治風刺・社会風刺がメディアのうえでも健在だ。フランスでは、ときに賛否相半ばするが、有料の民間放送「カナル・プリュス」の、著名な政治家をモデルにした情報人形劇「レ・ギニョル・ド・ランフォ」が評判だ。ほかでは、政治家の物まねをするステファン・ギヨンが人気者で、ラジオで替え歌をはやらせたりしている。英国でも「そっくりさん人形(Spitting Image)」による政治風刺番組があちこちのテレビでやられているし、「ミスター・ビーン」でお馴染みのローワン・アトキンソンは、あれで風刺的な喜劇もこなしている。ドイツ第2テレビ(ZDF)の政治風刺番組「ホイテ・ショー(Heute Show。今日のショー)」も、よく見られている。「犯罪会社・東京電力の正体」なんて特集をやったのだから、恐れ入る。アメリカでさえ、映画監督、マイケル・ムーアは政治のインチキを笑い飛ばすような、果敢なドキュメンタリーをつくりつづけてきたし、お笑い専門のテレビ「コメディ・セントラル」では、番組「デイリー・ショー」のキャスターを務めるジョン・スチュワートが、マードックのフォックス・テレビで露骨なブッシュ贔屓をつづけてきた司会者のビル・オレイリーや、経済テレビ・CNBCで金融バブルを煽ってきたリック・サンテル、ジム・クレイマーらの所業を、仮借なく暴いて笑いのめしてきた。日本のテレビにどうしてこういう番組がなく、テもなくアベノミクスにやられてしまうのか。

 

 今、なぜ牧伸二亡きあとの「牧伸二」がいないのか。そのことを牧伸二本人が、一番口惜しく思っていたであろう。亡きがらは川面の上に浮かんだが、魂魄はまだ川底にあり、浮かばれないのではないか。彼の死後、自殺の原因は経済的な行き詰まりか、自分が会長を務める演芸人の会の預かり金の使い込みか、といった話題がメディアの続報では飛び交った。だが、これも情けない。そんな詮索より、エンタテインメント番組が全部、巨大プロダクションの仕切るものとなり、タレントは金太郎飴の顔ぶれ、いつも似たようなおちゃらけばかりといった、報道機関の息吹とは無縁な状態に陥ったところに、本当の原因を探るべきではないのか。明治民権運動の時代、民衆のなかで川上音二郎らは「オッペケペー歌」など、壮士演歌を創った。大正の初め、桂陸軍大将内閣が出現すると、憲政擁護運動の勢いが強まり、演歌師、添田唖蝉坊は「マックロ節」などで底辺大衆の怒りを表し、昭和の民衆に歌い継がれる演歌を定着させた。その流れのなかで戦後にもつづく石田一松の「ノンキ節」が生まれてラジオでも歌われ、さらにその遺伝子は、三木鶏郎によるNHK番組「日曜娯楽版」の数々の歌にも受け継がれていった。牧伸二も高度成長の中、そうした批評精神と風刺の技を、メディアのうえで発揮してきたのだ。メディアは、彼の冥福を祈ろうとするのなら、「3・11」と安倍改憲政権出現という、かつてない大きい政変のただ中、この時代に相応しい批評性と、“悪役”の骨の髄まで突き通す鋭い風刺を、みずからの武器として取り戻す必要があるのではないか。(終わり)

 

 

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