『ソフィーの世界』の新装版が、今月末に上梓されます。今この時に出すべき本と、出版社が決断したのです。その提案をうかがうまでは、思いつきもしなかったのですが、なるほど、そうだ、今この哲学の物語はきっと誰かのよすがになる、と思いました。2分冊のソフトカバー、表紙は最初のハードカバーと同じ、高橋常政さん描く、少女がまなざしをひたとこちらに向けている、あの絵です。

作者のゴルデルさんは、来日時に福島に行ったこともあって、このたびの地震と津波そして原発事故にたいへんなショックを受けています。新装版に、心のこもった一文を寄せてくださいました。原発事故を受けての哲学の立場からの真摯な問いかけに、私は改めて明日を思い描く力をもらった気持ちになりました。

ゴルデルさんのエッセイは本で読んでいただくとして、ここでは監修者と翻訳者の「新装版によせて」をご紹介します。私たちも、そして編集者をはじめとする、この本を世に送り出すにあたって力を合わせた人びとも、作業のさなか、思いはつねに東日本にありました。私はこの新装版の印税を、被災された方がたのお役に立つことに使おうと思います。なお、本に収録されている文章は、これとは微妙に異なります。ページに納めるためにちょっと手直ししたからです。


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新装版によせて

                                           須田 朗
                                         池田香代子

一九九五年初頭、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という未曾有の惨事にあいついで見舞われるさなか、『ソフィーの世界』は誕生の時を待っていました。悲しみや混乱、たくさんの気持ちで心をいっぱいにしながら、こんな今だからこそこの子を世に送り出さねばと作業を進める働き手たちに囲まれて、『ソフィーの世界』はゆっくりとその大きな瞳を開いていったのです。
 
あれから十五年、『ソフィーの世界』は、日本でおよそ二百万人の読者と出会いました。そして、新装版が世に出るこの時、私たちは東日本大震災がもたらしたあまりにも大きな傷にうちのめされています。生まれた時、そして主人公のソフィーと同い年の十五歳になった時、『ソフィーの世界』は二度までも私たちの困難な時に立ち会うことになったのです。
 
『ソフィーの世界』は、ヨーロッパ哲学史をテーマとするファンタジーです。この思いがけない組み合わせには、発表当時、誰しもが驚きました。しかも物語は、主人公と同じくらいの年齢でも読めるように工夫されています。おびただしい読書カードの送り手のうち、いちばん若い方はなんと九歳でした。「ぼくはこの本をよんでから、ものごとをちゅういぶかく見るようになりました」というメッセージには、十九歳じゃないの、ともう一度、年齢を確かめたものです。
 
『ソフィーの世界』は、最初に出版されたノルウェイをはじめとするヨーロッパ各国でまずベストセラーになりました。その理由を私たちは、当時、間近に迫っていたユーロ導入にあるのでは、と考えてみました。
 
ヨーロッパでは長いこと、たくさんの小さな国が競いあい、時にはそれが戦争につながりながらも、この競争意識がうまく働いて、各国が独自の政治・経済・思想・文化を発展させてきました。それがEUとしてゆるやかにまとまることになった、その決め手となる共通通貨ももうじき発行される、これまでは違いを強調してきたのに……人びとは戸惑ったことでしょう。そして、もしかしたらおおもとには共通の何かがあるのかも知れない、そう考えて歴史を振り返り、自分たちの文化はすべてギリシアに始まる哲学を源にしていることを、あらためて思い知ったのではないでしょうか。そんな時代を反映して、一九八〇年代から九〇年代にかけては、さまざまな哲学者の全集が新たに編纂されるなど、哲学の専門分野で活発な動きがありました。
 
そこに登場したのが、若い人びとを念頭に書かれた『ソフィーの世界』でした。専門家でなくても読めるこのファンタジーは、哲学をよすがにヨーロッパの歴史をたどってみたいという、多くの読者の願いを叶えたのだと思います。
 
そして私たちの国では、大災害と大事件に襲われたあの当時、バブルがはじけ、人びとは、もう二度と好景気に浮かれる時代は来ないのではないかという予感を受け入れかねて立ちすくんでいた、そんな気がします。明治以来、敗戦という破綻も乗り越えて営々と築いてきたものがこの先も同じように続くかどうかわからない、欧米から取り入れたあの近代、その思想や社会経済技術のありようとはいったいなんだったのかと、あのころは私たちもまた、過去を振り返りたかったのだと思います。これは、『ソフィーの世界』を手にしたのが若い人びとにとどまらず、おとな、とりわけ多くのビジネスマンもまたこのファンタジーに惹かれたことに、象徴的にあらわれていると思います。
 
さて、そのようにして現代社会のルーツを確かめるためにこの物語をひもといたとしても、のっけに人びとが直面するのは、「あなたはだれ?」という問いです。そして、レゴを例にギリシアの自然哲学、つまりデモクリトスの原子論が始まるのです。古代ギリシア、人間が神話によらずにこの世界を理解しようとして思考を始めた時、まず浮かんだテーマは、あらゆるもののおおもとは何か、ということでした。そして、物質をかたちづくる最小単位の何かを原子(アトム)と名付けました。この名前は今に引き継がれています。もちろん、デモクリトスの理論は、二十世紀に確立した原子論からすれば素朴ですが、物質をどんどん小さく分けていくと何があるのだろうという探求心は、紀元前四世紀も今も同じです。
 
決定的に違うのは、現代の人間がそこから莫大なエネルギーを取り出す技術を手に入れたことです。それはまずゲンバクという兵器として広島・長崎にとりかえしのつかない災禍をもたらし、今は過酷事故を起こしたゲンパツとして日本、いえ世界を不安におとしいれています。ここで私たちは考えこまざるをえません。自身物質である人間が、その物質をかたちづくる原子の奥に眠っているエネルギーに手をつけるのは、摂理に反するのではないのか、と。これが極論だとはわかっています。けれど、こんな根源的な疑念を抱かせるに、今の現実はじゅうぶんです。思い出されるのは、寓話『魔法使いの弟子』です。楽をしようとして、つまり快適を求めて使いこなせもしない魔法にいどんでとんでもない結果を招いたあの未熟な弟子を、私たちは笑えるでしょうか。
 
『ソフィーの世界』には、私たちが自然をわが物顔でこき使うことへの警告が書き込まれています。

「進歩の思想は、人間は自然界のトップにいるということを、つまりぼくたちは自然界の主人公なのだということを踏まえている。そしてまさにこの考え方が命の惑星全体を生命の危険にさらすかもしれないのだ」(ハードカバー版589ページ、並製版下巻235ページより)。
 
これが極端なかたちであてはまるのが、原子力利用ではないでしょうか。かと言って、化石燃料を燃やし続ければ、今度は気候変動が進むとも言われています。このジレンマもまた、「自然界のトップにいる」という私たちの思い上がりが招いたものと言えるでしょう。そしてなにより、地震や津波といった自然の威力の前では人間はごくちいさな、弱い存在だということを忘れることへの、これは警告だと思います。
 
科学技術を手に入れた人間はこれからどう生きていくべきか、世界の人びとが見守る中、まずは日本の私たちがそのことを根っこから問い直す時が、今来ていると思います。まさに哲学に立ち戻っての問い直しです。そんな時、私たちは何者か、世界とは何か、というふたつの大きな問いの前に私たちを立たせる『ソフィーの世界』が、この惑星にこれから生まれてくるすべての命を含めた「私たち」のために、私たちは何をすべきかを考えるよすがになることを心から願っています。

                                          

                                        2011年4月22日

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