非国民通信

ノーモア・コイズミ

ならば胸を張って御用学者を名乗ろう

2011-04-07 23:37:18 | ニュース

反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク(日経BP)

 こうした反対派と推進派が互いに不信感を持って一歩も引かずににらみ合ってきた構図が原子力発電のリスクを拡大してきた。そしてそのリスクは今回、現実のものとなってしまった。

 そうした経緯を考えるとき、本当に選ぶべきものは(A2、B2)の選択肢だったのだ。推進派は反対派の主張に耳を傾け、従来の原発=絶対安全のプロパガンダを一旦取り下げてより安全で安心できる原子力利用の道がないか、もう一度検証しなおす。一方で反対派も原子力利用絶対反対の姿勢を緩め、リスクの総量を減らす選択を国や電力会社が取ることを認める。こうして両者が互いに僅かであれ相互に信頼することで開かれる選択可能幅の中でリスクの総量を最小化する選択肢を選んでいく。

 レイシズムに与さないことで「反日」と呼ばれるのなら私は堂々と反日を名乗りたいし、原発の脅威を煽るのに参加しないことで「御用学者」と呼ばれるのなら私は胸を張って御用学者であろうと思える昨今です。さて上記の引用ですが、これが震災前であれば一笑に付すこともできたかも知れません。しかし震災後の原発を巡る集団ヒステリーを見た後では、そこに一定の説得力を認めざるを得ないようにも思えます。「原発は絶対安全」から「原発は絶対危険」へと極論から極論が吹き上がる辺りは、今からでも反省すべきものがあるはずです。

 とりわけ今後は「反対派」「推進派」の二者択一を迫られる場面が増えそうですが、もう少し別の分け方をした方が現実的ではないでしょうか。「反対派」「推進派」の他にも「無関心」な人もいれば、「暫定的容認派」とでも呼ぶべき立場もあるわけです。つまり、将来的な脱原発を見据えつつも、今はまだ難しいので当面は原発で凌ぐという立場ですね。この「暫定派」は将来的な脱原発を志向するが故に平時では「反対派」として、一方で後先考えない急進的な脱原発論には与さないが故に今日のように沸騰する世論の中では「推進派」として扱われるように見えます。

 昨今の時勢を鑑みれば明確な「反対派」の立場を取るのが最も無難なのでしょうけれど、良識家ぶるために自説を曲げるつもりは毛頭ありません。今の最優先事項は生活インフラを復旧させることです。情勢の変化に応じて考えを改めるのも結構なことですが、むしろ時間的にも金銭的にも余裕が無くなった状況下では、「将来の脱原発」よりも「既存の発電所をどう活かすか」を優先しないと住民の生活インフラは守れないわけです。ましてや「今すぐ原発を止めろ」みたいなことを、ただでさえ電力不足が復興支援すらも含めた東日本全域の足枷となっている状況下で主張するとしたら、それは良心的とは言えないでしょう。(ちなみにドイツは発作的に原発停止に踏み切ったため一夜にして電力の純輸入国になったとか。まぁ、代わりに支えてくれる人がいる状態でなら、そういうことも可能なのでしょうけれど……)


 囚人のジレンマ的状況は原子炉の安全性確保に関してもありえる。実は外部電源を喪失しても重力をつかった冷却水注入や、自然な廃熱によって安定的に冷却にまで至る新世代の原子炉も設計されている。スウェーデンで75年ごろ研究されていたPIUS(Process Inherent Ultimate Safe)炉は、スリーマイル島原子炉で起きたような冷却水が喪失する重大事故が起きると容器内外に圧力差が生じ、外のプールからの水が注入され、ホウ素の中性子吸収効果で核反応が停止するに至るよう設計されている。特徴的なのは外部からの冷却水注入にポンプなどの動力を必要としないこと。人工的な操作を必要とせず、自然の力で安全性を確保するこうした方法を受動的安全性と呼び、PIUSは設計構造そのもので安全性を確立した炉形式ということで固有安全炉と名乗っていた。

 実は日本でも日本原子力研究所が1993年からJPSR(JAERI Passive Safety Reactor)炉などPIUS炉の延長上の研究に着手し、受動的安全性を確保しつつ実用可能な炉型を探った。だがその成果は殆ど報じられなかった。なぜか。より安全な炉があると認めれば、いま動いている原発の安全性に問題があると認めることになる。反原発運動のアピールで不安を感じている国民を安心させるべく現在運転中の原発に関して「絶対安全」と繰り返して述べて来た以上、「より安全な原発」の存在は許容できず、その道を選ぶことができないのだ。

 遺伝子組み換え作物を巡る論議にも似たようなところがありますが、「原子力であること」「遺伝子組み換えであること」を理由とした危険視は野蛮です。原子力で無かろうとも、あるいは伝統的な工作手法や品種改良手段でも、危険であったり有害であったり、あるいは生態系を破壊してきたものはあります。そして一口に原子力あるいは遺伝子組み換えと言ってもピンキリなワケです。そのリスクの度合いに応じた議論がなされるべきで、老朽化した旧世代型の原発と、より厳重な対策が施された新世代の原発とではリスクは大きく異なってくることも理解されねばなりません。一足飛びに原発を超克しうる発電手段が確保できない中では古い原発を新しいものに置き換えることもリスク低減策たり得たはずですが(新しい原発を立てられないために古い原発が延命されるとしたら、それは間違いなく危険でしょう)、しかるに「原発は絶対安全」と「原発は絶対危険」の極論ばかりが幅を利かせていたとしたら、綱渡りを余儀なくされてしまうのも宜なるかなです。


露出激減、新顔焦りも(朝日新聞)

 10日投開票される都知事選の候補者のうち4人が3日、テレビの討論番組に出演した。(中略)原発の是非では、石原氏が「資源のない国で原子力は有力な電源」と主張した~

 「資源のない国で原子力は有力な電源」と石原慎太郎は述べたそうです。先日の「日本人は欲にまみれている」云々もそうですが、この「日本は資源がない」云々もまた、石原だけではなく石原に反対しているつもりの人でも(あるいは原発に反対している人でも)好んで使う言い回しだったりします。しばしば石原と石原に反対している人は、単にコインの裏表に過ぎない、同じ世界観を共有している中で僅かな齟齬があるだけに過ぎないのではないかという気がしないでもありません。それはさておきウランだって輸入しているわけですし、別に自国に埋蔵されていなくとも国際協調がちゃんと出来ていれば資源の有無に拘る必要性はなさそうなものです。むしろ、脱原発を難しくする要因としてはもっと別のものが考えられはしないでしょうか。

 再生可能エネルギーを用いた発電手段も、将来的にはコストが下がり効率も上がって原発の代替手段たり得る日が訪れる日が来るかも知れません。ただ、それが一朝一夕には難しいとなると、短期的に明確な成果を求めたがる日本の世論に絶えられるのか、その辺が懸念されるところです。スーパー堤防よろしく「いつ完成するかわからない」「本当に計画通りの効果が見込めるか検証しにくい」「とにかくプロジェクト続行に費用が嵩む」の三重苦では、事業仕分けの格好の餌食となってしまうことでしょう。痛みを伴う構造改革を支持してしまうような人が大勢を占めたことを考えれば、生活インフラ(電力供給)の復旧を二の次にしたような主張でも世間の支持が集まることはあるのでしょうけれど、一方で熱の冷めるのが早いであろうことも忘れるべきではありません。

 加えて少なからぬ予算が投じられるとあらば、必然的にその中で利権を手にする人も出てくるわけです。そういう類をこそ世論は徹底的に糾弾してきましたし、政治は率先してバッシングの対象としてきたものですが、いつ実を結ぶかわからない徒飯食いでも長い目で見守ってやらないと、既存の枠組みを覆すようなイノベーションは生まれないように思います。だから短期的には成果が出なくとも、一つの公共事業であり景気対策であり雇用促進策だと受け止めるぐらい、あるいは鶏鳴狗盗よろしく「いつか役に立つ日が来るだろう」ぐらいの鷹揚さを以て接する「ゆとり」がないと、脱原発のような遠大にならざるを得ない計画は成功しないのではないでしょうか。しかるにこうした「ゆとり」こそ90年代以降の日本が急速に失ったものであり、これからも失われ続けていくものであるとしたら、日本の世論は全く矛盾した要求を振りかざすことにもなりそうです。それは毎度のことかも知れませんが……

 

 ←応援よろしくお願いします


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 盛り上がらない都知事選 | トップ | 差別や排除の論理が飛散して... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (毛)
2011-04-09 00:32:18
>レイシズムに与さないことで「反日」と呼ばれるのなら私は堂々と反日を名乗りたいし、
>原発の脅威を煽るのに参加しないことで「御用学者」と呼ばれるのなら私は胸を張って御用学者であろうと思える昨今です。

この点、全くもって同意します。

自分が原発推進派であるからといって、本来は危険であるとの結果が導かれるものを捻じ曲げて「安全」だと主張すればそれは御用学者と呼ばれて当然でしょう。実際、電力会社の姿勢はこのようなものでしたし、そこには私も強く批判的ですし、そこは批判されてしかるべきだと考えます。しかし、科学者は物事を科学的に分析してこその科学者であるはずなのに、知りえる情報から科学的に分析して「この点は危険で、この点は別に危険ではなくて」と言うだけで「御用学者」と呼ばれる傾向が強く見られるのは全くもって理解できません。使っている言葉こそ「御用学者」ですが、自分の価値観の沿う答えを科学者を「"まとも"な学者」と呼び、そうでない科学者全て(本物の御用学者も、科学的に分析してるだけの学者も)をそう呼んでいるに過ぎません。これでは科学的な分析結果を捻じ曲げてでも、科学者は自分の価値観に沿う答えを出すべきだと要求しているようなものです。私は科学者ではないですが、ずっと理系の道を進んできたものとしても、現在の急進的な反原発派のこのような姿勢は全く許容できません。

ところで、新しいエネルギーを模索しようとすると失敗する可能性も同時につきまといますよね。私がどうしても思い出すのはRDF(ごみ固形化燃料)によるごみ発電の失敗の話です。これが話題になり始めたのは90年代後期頃だったでしょうか。当時はものすごく期待しながら見ていたものです。しかしその10年後に聞こえてきたのはあまりよろしくない話でした。
でもそこで言いたいのは、「だからやるな」「新エネルギーなんてそんなもの」ということではなく、「新しいものを考える以上はそういった失敗もつきものなんだから、それを許容できるだけの心構えがないといけない」ということです。RDFは失敗したものの、その後は改良したものも普及しつつあるようですし、どうしても試行錯誤はつきものなのでしょう。しかし、こうやって一度失敗すると「そんなこと最初からわかってたじゃないか」と言わんばかりの袋叩きに合います。
私は新エネルギーを進めて行くことには大賛成ですが、今急進的にそれを主張している人達は新エネルギーを理想化してしまっていて、失敗もなく一朝一夕に日本の電力需要をまかなえると錯覚してるように見受けられることが多々あります。こんな感覚のままで新エネルギーへ歩みを進めてしまうと、理想と違うと感じる局面が必ず訪れ、そのときに新エネルギー開発に取り組んだ人たちへ責任が押し付けられ、さらには「原発時代に戻したいからわざと失敗した」みたいな陰謀論から来る罵声を浴びせられるでしょう。こうなってしまっては進むものも進みません。これから新エネルギーを強く推進していくとしても、それだって茨の道であり、自分達が選んだことである以上は少なからず失敗が起きたとしても受け入れる、という姿勢は最低でも持ってもらいたいと思います。
Unknown (24)
2011-04-09 08:12:20
民主党の失態ぶり(地震は別です)を見ていて思ったのは、アンチ行為は何も生みださないというごく当たり前のことでした。つまり極論は表裏一体のものであって、何も生み出さないということ。

反対意見を述べるのならば、きちんとした代案を出さなければならない。次に懸案事項にすべて答えなければならない。そうして初めて、反対意見は力を持って実行される。「○○反対」はサルでもできるんです。

次はコメントを読んでいて思ったことを書いておきます。

>自分の価値観の沿う答えを科学者を「"まとも"な学者」と呼び、そうでない科学者全て(本物の御用学者も、科学的に分析してるだけの学者も)をそう呼んでいるに過ぎません。

これはまさにそのとおり。かつて「水をほめると分子構造がかわる」などといった嘘科学が流行していました。他にも怪しい事柄(ホメオパシーでも、あるある大辞典の嘘ダイエットでもいい)を科学的なデータらしきもので取り繕い、あたかも真実のように喧伝することは今でも行われてる。こういうことを言う人たちって、要するに「自分の言いたいこと」が先にあって、その「言いたいこと」の根拠を求めるために科学を利用しているんですよね。一部の悪い科学者みたいに、自分の言いたいことがあってそれに適合するデータしか公表しないとか、自分の主張を保持する研究しかしていないとか、とんでもない奴らもいる。

地震報道で「科学者は使えない」みたいな意見がありました。いわく「安全か危険なのか言ってくれない」というもの。でも、そういうことを言わないのが科学的な態度でしょう。その人は自分の心の中にある「危険そうだ」という考えを科学者に念押ししてもらいたいだけじゃないのかと。
「Aという可能性がある、はたまたBという可能性もある。Cもわずかながら起こりうる」。こういう言い方をするのが科学的な態度ってものなのだと思います。
単純な結論、単文のメッセージはかなり危険極まりない。そこには何かしらの意図がみえ隠れます。

これはもちろん「絶対に安全です」という政府の言い方にも適応できます。どこまでいったら危険なのかを言って欲しいものです。
Unknown (ルーピー)
2011-04-09 11:52:33
 曾野綾子が水400リットル買いだめしたうえに、ヘルメットを被っていることを自慢していました。
 確かこの人は非核三原則廃止とかいっていたような。「推進派」呼ばわりをする人も、こういう人と一緒になって危機を煽っているんだから、お互い様のような気がしますが。
Unknown (非国民通信管理人)
2011-04-09 23:14:15
>毛さん

 今となってみるとごみ固形化燃料には否定的な記事ばかりが目立ちますけれど、これだって一つの可能性ではあるはずなんですよね。新しいことを模索する上では当然ながら失敗がつきもの、というより失敗の方が多いくらいではないかと思いますが、その辺を乗り越えていかないといけないはずですが、とかく一つの失敗で全否定されがちな風潮もあるでしょうか。仰るように新エネルギーは、昨今の急進的な脱原発論者が思い描くような一朝一夕に得られるものではないだけに、このギャップがまた新たな否定を生むのかも知れません。

>24さん

 曖昧なものは曖昧なもの、不確定なものは不確定なものとして受け止めるのも科学的な態度ですからね。何でも白黒はっきり付くものではないはずですが、世論は安易に結論を欲しがるようです。ちなみに私の今日の夕食は賞味期限切れのレトルト食品でした。ちょっと賞味期限が切れたくらい、どうということもないと確信していますが、しかしメーカー側に「賞味期限が切れてから何ヶ月くらいまで食べられますか」と回答を求めたらメーカー側は答えに詰まると思います。誠実であろうとするほど、明確に応えられないものも多いような気がしますね。

>ルーピーさん

 この辺も「ねじれ」でしょうかね。右派は民主党が売り込みに熱心だった原発には、今回の件を機会に否定的になりやすい、ましてや政府側の説明を否定したがる、一方で左派は民主党に入れる人が多いにも関わらず元が原発に否定的な人が多い、そういう中で色々と世論がエスカレートしているようにも見えます。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニュース」カテゴリの最新記事