福島原発事故の代償はいくらか:将来世代の負担も視野に

小黒 一正

アゴラの記事「冷静かつ深みのあるエネルギー政策論を」(澤昭裕氏)は、脱原発か原発推進かという短絡的な二元論でなく、冷静な形で今後のエネルギー政策を議論するべきであると主張する。この意見に筆者も完全に同意するが、ここでは、原発事故の代償としての処理費用について簡単に考察しておこう。


といっても、政府はいまのところ、処理費用について確定的な金額を明らかにしていない。だが、朝日新聞(2011年5月3日)は「賠償総額を4兆円(うち東電が2兆円を負担)、福島第一原発1~6号機の廃炉費用を1.5兆円と政府が試算している」と報道している。つまり、合計で5.5兆円である。

他方、日経センターは、内閣府の原子力委員会(2011年5月31日)において、福島原発の事故処理費用は、最低5.7兆円から最大で20兆円に達する可能性があると報告している。この内訳は次のとおりである。

①原発の廃炉費用 0.74兆円~15兆円
②原発から半径20km内(警戒区域で立入禁止)の土地買い上げ費用 4.3兆円
③住民(上記②区域の避難者)に対する10年間の所得補償額 0.63兆円


朝日新聞の報道と日経センターの推計のどちらの金額が妥当であるか、現時点において筆者に判断する力量はないが、日経センターの推計のうち①の原発の廃炉費用に幅(0.74兆円~15兆円があるのは、今回の福島原発事故が現在も進行中の問題であり、今後の見通しに不確定要素が多いためである。

というのは、最近、新聞やテレビ等のマスメディアを通じて、今回の福島原発事故と比較されるのは、1979年に発生したアメリカのスリーマイル島原発事故と、旧ソ連(現在のウクライナ)で1986年に発生したチェルノブイリ原発事故である。

政府は当初、国際原子力機関(IAEA)が定めた原発事故に関する国際評価尺度(0から7の8区分)を基準として、今回の福島原発事故を暫定的に「レベル4(業所外への大きなリスクを伴わない事故)」と公表したが、その後、炉心燃料が損傷し放射性物質が放出されている可能性が明らかとなり、これら事故との比較から、スリーマイル島並みの「レベル5(施設外へのリスクを伴う事故)」と再評価していた。

だが、その後、さらに被害の詳細が明らかになったことから、政府は福島原発事故の再々評価し、チェルノブイリ並みの最悪の「レベル7(深刻な事故)」に引き上げたが、今度は、国際原子力機関のフローリー事務次長が「チェルノブイリと今回の福島原発事故は、構造や規模の面で全く異なる」と指摘するなど、福島原発事故の評価が定まっていないためである。

この関係で、日経センターは、福島原発の廃炉費用について、今回の原発事故が原子炉から燃料棒を取り出して処理したスリーマイル島並みのケースでは0.74兆円であると試算している。他方で、燃料棒を取り出せず原子炉をコンクリート製の「石棺」で覆ったチェルノブイリ原発と同様の処理をするケースでは15兆円と推計しており、原発事故の処理費用は最低で約5.7兆円、最大で20兆円になると試算している。

しかし、この試算における③の所得補償は、原発から半径20km内(警戒区域で立入禁止)の避難者に限定した推計となっている。さらに、日経センターの試算(①~③)では、いま福島原発の原子炉を冷却するため発生している汚染水の処理費用や、水素爆発などで原発施設外に拡散した放射能物質を除去するための土壌の処理費用をはじめ、20kmの警戒区域外や福島県外の水産・農業といった産業が被った直接損害や風評被害などは考慮されていない。

このうち、汚染水の処理費用について、東京電力は2011年5月27日に総額531億円になるとの試算結果を公表しているが、中長期の問題としては今回の原発事故でまき散らされた放射性物質が引き起す被害(例:甲状腺ガン)に対する賠償問題も存在するはずであり、これら処理費用や賠償費用も考慮すると、原発事故の処理費用は20兆円を超えてしまう可能性もある。

もっとも、経済学的な視点で考える場合、これら処理費用については、既に発生し現在も進行中の損害を誰が負担するかという問題にほかならない。つまり、極めて政治的な問題である。

その場合、負担者として想定されるのは、東京電力の経営陣・社員、あるいはその株主・債権者、電力需要者、納税者といった主体などであるが、何も文句を言わないで負担を被る主体も存在する。それは選挙権をもたない「将来世代」である。

被害が大きいとき、人は誰しも思考停止し、現実をみたくないという衝動に駆られてしまう。その際、処理費用の金額を過小評価したり、曖昧にする「戦略」は、最終的に負担の多くを将来世代に先送りしてしまうリスクを高めてしまう。これは、津波による原発事故の可能性を過小評価あるいは曖昧にした試みと似た構図であり、放射能汚染とその処理費用という「二重の負担」を将来世代に押し付けることになる。加えて、今回の東日本大震災の復興対策(数十兆円)を賄う財源として、国債発行を行うとの議論もある。

処理費用の推計が難しいことは想像できるが、その負担の先送りリスクを低下させるためには、まず、不十分であっても、処理費用の金額をできる限り早急に試算・公表した上で、将来世代の利益も視野に、中長期的視点で負担のあり方について検討を進めていく必要がある。その際、甲状腺ガンといった中長期的な賠償費用については、いまからでも「基金」を設定して積立しておく方法も考えられよう。

(一橋大学経済研究所准教授 小黒一正)