「公務員の社歌は国歌だから歌うのあたり前」とし思想・良心・信教の自由を侵害する橋下大阪市長 | すくらむ

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 大阪市で学校行事の国歌斉唱時に教職員の起立斉唱を義務づける条例が制定されたことをめぐっての橋下徹大阪市長とMBS記者とのやりとりの動画 がネットで話題になっています。


 ここでの橋下大阪市長の言動について、秋原葉月さんが、ブログ「Afternoon Cafe」で以下の詳細な分析と批判を行っていますのでぜひご覧ください。


 ▼MBS記者の取材に対する橋下氏のキレ方は常軌を逸しています
 
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-978.html


 ▼詭弁術講座
 
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-975.html


 ▼詭弁術講座(2)
 
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-980.html


 ▼詭弁術講座(3)
 
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-981.html


 それで本題ですが、この動画 の最後に、橋下大阪市長は要旨次のように語っています。


 公務員は国家のために仕事をしているのだから国歌を歌うのはあたり前じゃないですか。我々は公務員に対して条例でルール化した。きちんと日本国家のために働いてもらわなければ困る。憲法・法令・条例にもとづいて仕事をするのが公務員だ。公務員の歌は何なのか? 公務員の社歌は何なのか? 国歌じゃないですか。国歌を歌うのはあたり前じゃないですか。私立学校に義務はかしていない。公務員に義務をかしているんだ。強制は国民にはしていません。公務員なんだから国歌は歌わなければならない。国歌は公務員の社歌なんだから、国歌を歌えない方は公務員をやめればいい。国歌を歌いたくないと言うのだったら公務員をやめて民間に行けばいい。国歌を歌いたくない公務員はみんなMBSに行ったらいいですよ。社歌も何もなく、トンチンカンな質問をしてれば職務をまっとうできるところなんだから。


 以上が橋下大阪市長の発言要旨です。


 冒頭の「公務員は国家のために仕事をしている」というところから間違っています。


 憲法の「第15条」には、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と明記されているのです。「公務員は国家のために仕事をしている」わけではありません。まして時の権力者である橋下大阪市長などに対する「一部の奉仕者ではない」のです。


 公務員はすべての国民のために仕事をしているのです。「憲法・法令・条例にもとづいて仕事をするのが公務員だ」と橋下大阪市長も認めているように、公務員は「憲法にもとづいて」「全体の奉仕者」として仕事をしているのです。


 つづいて橋下大阪市長は、「公務員は国歌を歌うのは当たり前だ」、「公務員には国歌を歌う義務がある」、「国民に強制はしていないが公務員には国歌を歌うことを強制していい」という趣旨の発言をしています。日本には、まるで「国民」の他に「公務員」が存在するかのような発言です。憲法にはどう書かれているのでしょうか?


 憲法第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。


 憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


 憲法第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。


 憲法第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


 憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。


 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。


 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


 ――以上が関連する憲法の条文です。


 橋下大阪市長が主張する「公務員は国歌を歌うのはあたり前だ」、「公務員には国歌を歌う義務がある」、「国民に強制はしていないが公務員には国歌を歌うことを強制していい」などというようなことは憲法には一切書かれていません。


 すべての国民に保障されなければならない基本的人権は侵すことのできない永久の権利ですし、思想・良心・信教の自由は何人に対しても保障するというのが憲法です。まさか橋下大阪市長は、憲法の「すべての国民」から「公務員」だけは除外されているとでも強弁するつもりでしょうか?


 憲法第19条の思想・良心の自由と、第20条の信教の自由の保障をあわせて「内心の自由」と規定されています。すべての国民の「内心の自由」を守ることは、民主主義国家の基本中の基本です。「日の丸・君が代」がすべての国民に強制された戦前の日本で、信教の自由も思想・良心の自由も乱暴に踏みにじられた歴史を二度と繰り返さないために、第19条と20条が明記されたのです。


 「内心の自由」を侵す押しつけや強制は許されません。そもそも国旗や国歌をどう考え、どう関わるかは、強制されるものではなく各人の判断で行うべきです。


 加えて、「内心の自由」の保障には、思想や信仰などの個人の内面の問題を、外に出すことを強制してはならないという重要な点があります。「内心の自由」を本当に守るためには、「沈黙の自由」を保障する必要があるのです。入学式や卒業式などで、教職員に対して国歌の起立斉唱を強制したり義務づけること自体が、「内心の自由」を侵す憲法違反の行為なのです。


 こうしたことは、国際的にもあたり前のことです。1966年に出されたユネスコの「教員の地位に関する勧告」の第80項には「教員は市民が一般に享受する一切の市民的権利を自由に行使すべき」と明記されていますし、1954年に採択された「世界教員憲章」の前文でも「教員は完全な市民的権利と職業的権利とを自由に行使する資格を持っている」とされています。


 橋下大阪市長は、「公務員は国歌を歌うのはあたり前だ」と言っていますが、世界ではあたり前ではありません。橋下大阪市長の常識は「世界の非常識」なのです。「世界の『国歌斉唱』事情」は以下ですが、「国歌を歌うのがあたり前」の国は、主要17カ国の中で、中国と韓国だけです。(「教育基本法の再改正を求める会」の「世界の『国歌斉唱』事情」から抜粋)


<アメリカ合衆国>
学校では:各州の判断に任されている。「Pledge of Allegiance(国旗に向かって忠誠を誓うこと)は広く行われている。


<英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)>
学校では:入学式・卒業式といった「式典」がない。行事での国旗掲揚・国歌斉唱はない。


<フランス共和国>
学校では:入学式・卒業式といった「式典」がない。通常、学校では演奏されない。


<ドイツ連邦共和国>
学校では:入学式・卒業式といった「式典」がない。学校で国歌は教えない。


<イタリア>
学校では:入学式・卒業式といった「式典」がない。通常演奏される機会はない。


<ロシア連邦>
学校では:入学式・卒業式で国歌を流すが、義務規定はない。


<中華人民共和国>
学校では:月曜朝の斉唱が義務付けられている。また「国旗法」により、全日制学校での国旗掲揚が義務付けられている。これを尊重しなかった場合に「侮辱罪」の規定がある。


<大韓民国>
学校では:式典で愛国歌を歌い、国旗に敬礼する。


<カナダ>
学校では:各州政府や教育委員会の判断による。毎朝国歌を流す学校も。斉唱の義務はない。


<スウェーデン>
学校では:国旗は教師に一任。国歌は特に教えない。


<デンマーク王国>
学校では:入学式・卒業式といった「式典」がない。学校行事ではほとんど歌われない。


<スイス連邦>
学校では:国歌を歌うことはほとんどない。


<オーストラリア共和国>
学校では:国旗・国歌は特に扱わない。


<ベルギー王国>
学校では:国旗掲揚の義務はなく、国歌は教えていない。


<オランダ王国>
学校では:国旗掲揚、国歌斉唱は特にない。


<スペイン>
学校では:国歌「グラナデラ行進曲」には歌詞がないので斉唱されない。国旗・国歌に関する規定はない。


<インド>
学校では:毎日の朝礼で国歌斉唱する。歌う時は直立不動の姿勢をとる。しかし外国人の生徒もいるため、強制はしない。



 それから、橋下大阪市長の「公務員には国歌を歌う義務がある」、「国民に強制はしていないが公務員には国歌を歌うことを強制していい」などという主張に対しては、以下の「アメリカでの判例」がとても分かりやすい反論になっています。


 アメリカでの判例
 (「国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例」より)


▼1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決
「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人)


▼1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」


▼1977年 マサチューセッツ州最高裁判決
「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」


▼1977年 ニューヨーク連邦地裁判決
「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」


▼1989年 最高裁判決(国旗焼却事件)
「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」


▼1989年 最高裁判決
上院で可決された国旗規制法を却下。「国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証される」


▼1990年 最高裁判決
「連邦議会が、89年秋に成立させた、国旗を焼いたりする行為を処罰する国旗法は言論の自由を定めた憲法修正1条に違反する。


 上記にある「1977年のマサチューセッツ州最高裁判決」を大阪市版に書き換えてみると、「大阪市で学校行事の国歌斉唱時に教職員の起立斉唱を義務づける条例は、日本国憲法にもとづく教師の権利を侵す。子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、国歌斉唱時の起立斉唱に対して沈黙する権利を有する」ということです。


(byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)