小豆島発の雑誌「その船にのって」ができるまで

2016年9月21日
posted by 平野公子

インターネットがあれば何処でも暮らせる

私が装丁家の平野甲賀とともに小豆島に移住してから2年半が経ちました。

なぜ移住したのか、なぜ小豆島だったのか、明確に理由があったわけではありません。東京から遠く離れられれば何処でもよかったような、今おもいだせるのは、劇場運営で食いつぶしての出奔であったのが第一の動機、他はごくボヤっとしたことだったような気がしています。が、私は考えるより動くのが得意なので、動くのが先、動いて行くうちに理由はあとからついてきた、というのが本当のところです。気がつけば立派に老人の年齢である私たち夫婦はあれよあれよの間にすっかり島の住人となり、おまけに若い仲間たちとそれなりに楽しく忙しく暮らしている今日、という案配です。無謀な行動でいつも夫を巻き添えにしてしまうのは、ちょっぴりですが申し訳ないことだと反省しております。50年の不作と諦めてもらうしかありません。

ただひとつ。これだけは確か。インターネットがこれほど発達していなければ地方、それも離島にくることはなかった、ということ。島に来てからいままでどおり細々でも平野甲賀は装丁の仕事を続けているし、私はネットを使って本の仕事やイベント作りをやれています。インターネットは移住の第一のツールです。

さて、地方の島で生活すると、いろんなことが変化します。便利は不便に、苦は楽に、疎遠は親密に、質素が贅沢に。おっとりの夫はさらにおっとり度が増し、朝早く起き、写経のように文字を描き、装丁の仕事をし、猫と遊び、草をむしり、焚き火に精出し、おそらく今日が何曜日かも気にせず、もし物忘れシートの記入を試みれば、痴ほう老人の仲間入り必定なほど、のどかです。私は私で朝は遅く起き、島のモノやコトやひとが面白くて面白くて、毎日歩き回り、夜遅くまで起きてお酒を飲んでいる。日々日々こうして、生まれ故郷東京は、私たちからドンドン遠ざかっていったのでした。

等身大の暮らしを本にする

もともと静かに老夫婦で暮らすつもりであった小豆島で、できたら植物を相手に小豆島のベニシアさんになろう、決してヤクザなことはやらずにおこうと誓って故郷を後にしたというのに、思いもかけず若い人たちとイベントをやったり、いろんな移住相談にのったり、行政のお手伝いをさせていただいたり、展示を企画したり、やめられない止まらない私の因果な性分で、私は相談役ではありましたが、この原稿を書いている5月22日には小豆島初落語会まで開催の運びとなったのでした。

それにしても、島にいる若者たちの人間力の高さには眼を見張るものがあったのでした。経済効率や利潤大追求とはほど遠い、が、生業の働き方はもちろん、いろんなことに楽しみを見つけ出すこと、それを実現にもっていくスキルと実行力、互助力に私は大いに刺激されたのでした。そして、いまここでこの島でできる限りのことを力つきるまでやってやろうじゃないの、とまぁ、またもや一発勝負の悪いクセがあたまをもたげてきたのでした。

まず地方発の、そこに暮らす人の等身大の記録を本にしようと思い立ちました。

東京時代から付き合いのあった晶文社の斉藤さんに相談すると、できるものならやってみてください、というお返事。きっと半信半疑だったのでしょう、が、とても有り難いことでした。故郷東京とひとつ繋がりました。それで17人の若者に、自分の仕事について、あるいは自分が手がけたイベントについて、とりあえず好きなように思うがままに書いてもらうことにしました。生産現場7カ所の紹介はイラストルポを高松在住のイラストレーターオビカカズミさんにほぼ一年かけてやっていただきました。原稿は17人からはポツポツ集まってきたのですが、長さマチマチ、これはどう読んだらいいのか、という自分史的なもの、半ページにもいかない短文のもの、などなど。まとめて読んでみたものの、文章で人に何か伝えることの難しさに頭をかかえたのでした。

さてここからだ、どこからだ?

本人が書き直せそうな人にはもう一度チャレンジしてもらい、今度は文字数もおおかた決めて言いわたす。他の原稿はじっくりひとりずつその人を思い浮かべながら読んでいく、申し訳ないがバサッと切ったり、ちょこっと加えたり、まるごと入れ替えたり、手をいれさせていただいた。斉藤さんと二度、三度やりとりしながら、ようやく全体のまとまりとページ数が見えてきたのが、昨年末です。そして今年の2月『おいでよ、小豆島。』(晶文社刊)として、この本は世に出ました。

『おいでよ、小豆島。』(晶文社)

『おいでよ、小豆島。』(晶文社)

いま読み返すと失敗がたくさんあります。私が入れる穴があれば入りたいくらいです。が、この本のおかげで、島への関心が思わぬところからも届いたのも事実です。北の果て北海道から興味を寄せていただいたのも意外なことでした。島のなかでもお互いがお互いの書いたものを読むことで新発見があったようです。

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最終的にできあがった本を手に、メンバーで記念撮影(写真提供:三村ひかり)

小豆島文学との出会い

実は私はこの本を作りつつ、島の役場の仕事で違うことに手をつけていました。

小豆島は同じ地区、同じ時期に壺井栄、壺井繁治、黒島伝治3人の文学者が生まれ育ったという稀な場所でもあります。また流浪の俳人尾崎放哉終焉の地でもあります。『二十四の瞳』の壺井栄しか知らなかった私ですが、島に来てから黒島伝治を貪り読み、壺井栄の1600はあるといわれている作品群を読みあさり、現存している壺井夫妻の家(『二十四の瞳』の舞台となった分教所が見える家)、黒島伝治の家(80年前の随筆にでてくる家の間取り!)を役場のみなさんに案内されたときには、私のできるやり方で、彼らの作品をもう一度世に出したい、という気持ちがふつふつと沸き上るのを押さえることができませんでした。それから彼らの作品をとりあげて小さな朗読会を開いたり、読書会をひらいたりすると、島の人たちでも誰も彼らの本を読んだことがなかったのがわかり、朗読をとおしてみなで彼らの物語再発見を味わうことができたのでした。

ですが、もっと形にしたい。島にいる私がやらずにいったい誰がやるというのだろう。

特に壺井栄のストーリーテラーとしての資質に惹かれていた私は、おそらく島の生活をつぶさにみていた少女栄の眼に写った物語は、100年前の島の生活者を活写していると想像しました。しかもどこの地方の庶民とも共通だったのではないか、と。おおげさに言えば100年前の日本人の庶民の暮しが物語の中に息づいているのです。壺井栄は眼と耳の確かな人です。栄の短編だけでも新しく編み直して選集にできないか、児童文学書の中で選集ができないか…。

そこでハタとおもいつき、膝をたたいたのが、電子本です。

さっそくボイジャーの萩野さんにご相談しました。電子本のデの字も知らないのにです。たしか、それは自分たちで作れるんじゃないですか、作り方もおしえますよ、というのが最初のご返事だったと思います。

さて、またもやここからです。

前述の本『おいでよ、小豆島。』が出てからまだ数カ月ですが、この本に納まりきらなかったことや人が後から後からでてきました。もう本にはできない、してもらえない、が、だったらもっと刻々と増えつづけるイマを伝えるメディアを作れないか、その中に島の文学者の電子本を棚としておくことはできないか、その座りで両方とも実現することは可能か? もちろん萩野さんにもメールを出しつつパズルのように考えていくと、これは電子版雑誌を発行していくのが妥当なのではないか、というところにたどりついたのでした。

電子雑誌、いよいよ出航

7月1日に出航した電子雑誌「その船にのって」。無料で読めるインタビューやエッセイ、映像も。

7月1日に出航した電子雑誌「その船にのって」。無料で読めるインタビューやエッセイ、映像も。

ここまで考えつくと平野甲賀にコトのあらましをぶつけてみました。話の途中で雑誌のタイトルを考えろ、というのです。そうだ、いつも最初にタイトルありきの人でした。で、おおまかな構想はもってはいましたが、もちろん誰に連載をたのむとか、どんなウェブ構築にするとか、誰が雑誌を運営していくのか、などなど何も定めていないうちに、ある日、ポッと浮かんで来たのが小豆島発電子雑誌「その船にのって」というタイトルでした。島へくるのも島からでていくのも船に乗らねば何処にも行けません。いったん船にのると、不思議なもので、その船で世界の果てまでいけるのではないか、と夢想してしまいます。コレだ、とタイトルを告げると、描き文字の巨匠はさっそくその日のうちに「その船にのって」のロゴをつくってしまいました。もうあとにはひけません。

電子雑誌の連載は島の若者と海外に暮らす若者、沖縄、いずれ台湾や香港に暮らす若者たちにたのむことにしました。船はいろんなものを載せます。電子本の装丁は全部やってみたいという平野甲賀の意向で、小豆島の文学者の古本を再編集、新人の棚、エンタメ本と、やがて拡がっていきます。すでに装丁は美しくできあがってきています。ウェブの特色でイベント情報や映像や写真もあざやかに入れていきますが、読み物中心の雑誌にしていきたいです。プロのもの書きはすくないですが、いずれここから新人も出てほしい。電子本と紙の本の交互作用も期待したい。誌上で紹介していく小豆島の産物も味わって欲しい。

「その船にのって」は編集のメンバーは4人(誰も経験なし)で出航しました。資金なしのわれわれです。読者から年間購読料2000円を徴収させていただくのも、無料が常識のウェブでどこまで応援いただけるのか、私たちなりの挑戦です。


この記事はボイジャーが編集発行した小冊子「これからの本の話をしよう」より転載しました。「これからの本の話をしよう」は東京国際ブックフェア会場のボイジャーブースで配布されるほか、電子書籍版をこちらで閲覧できます

執筆者紹介

平野公子
1945年、東京神田生まれ。メデイア・プロデューサー。出版、舞台企画多数。2005年から2012年まで小劇場シアターイワトの劇場運営代表。2014年、小豆島に移住。小豆島町文化振興アドバイザー。「その船にのって」編集担当。